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東京大学教授坂村健先生のご紹介をさせていただきます。先生は1951年、東京にお生まれになりました。先生のコンピュータへの興味はきわめて若いころからあったようで、慶応義塾高等学校の1年生のころから大学図書館に通って専門雑誌を辞書片手に勉強しまして、いつか自分もこの雑誌に論文を載せたいとあこがれていたそうでございます。このようなことで、大学では電気工学科を学び、大学院では相磯先生の教室に進まれ、1979年、博士課程を終了後、直ちに東京大学情報工学科の助手になられました。 1982年、先生の心を動かす事件が起こります。IBMコンピュータソフトスパイ事件です。先生はこのようなことが起こるのは米国のまねをするからで、日本で独自にコンピュータを設計して作ればよいとの考え方から、1984年、先生を中心にオペレーティングソフト、トロンのプロジェクトが発足しました。 さらに、1988年、トロン協会が設立され、大幅に活動が広がりました。その一つは、トロンを搭載したパソコンがメーカーで完成し、文部省はこれを用いて、全国の小中学校の教育用パソコンとして導入することを契約いたしました。ところが、青天の霹靂、1998年、米国はこれを非関税障壁としてスーパー301条の候補に挙げてしまったのです。 坂村先生は早速米国政府に抗議しました。トロンはオープンなプロジェクトであり、使用は無料で、米国製品の排除が目的ではないと強調いたしました。だが、結局スーパー301条のリストから外れることにはなったのですが、メーカーが米国の圧力を恐れて、降りてしまいましたので、文部省の計画は実現しませんでした。 しかし、こんなことでトロンは終わりません。トロンはもともと、ザ・リアルタイム・オペレーティングシステム・ニュークレウスの頭文字をとったもので、リアルタイムに動くところが特徴です。水が低きに流れるように、人は集まり、広く使われるようになります。ファックス、デジタルカメラなどの家庭製品から、リアルタイムが重要と誰でもわかる自動車にはトヨタが採用しました。 さらに、トロン市場のシェアを大幅に上げたのは携帯電話の各社が採用したためです。ついにはマイクロソフトもリアルタイムではかなわないというので、協力を申し込んできました。 今ひとつ、坂村先生が20年前から提唱されている言葉に、「どこでもコンピュー ター」というのがあります。その後、ユビキタスという英語が出てきましたけれども、元祖は坂村先生でございます。 それでは、トロンの発明と親で、どこでもコンピュータの元祖でいらっしゃる、坂村先生、お願いいたします。 |