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パネル討論

第二部 パネル討論  「バイオテクノロジーは生活者を豊かにするか」



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宮田)
  ありがとうございました。やっとこのタイトルにあったようなお話を伺えました。ただ、私たちは例えばフロンとか、そういう問題があります。石綿の問題。だから善意で科学研究やってるんだけれども我々の無知なために後で大きな代償を払ってきたという歴史があるわけですよね。
  ですからそういう意味では地球環境問題で一言だけ添えさせていただくと、まだ地球環境上で我々がやることがいったいどういう連関によっていろんなイベントを起こすかということがまだわかっていないので、そこをもっとバイオテクノロジーとかゲノムサイエンスも含めてですけど、どんどんやるような仕組みをつくっていかなきゃいけないんじゃないかなと思ってますけどね。
  あと残り十分くらいになってまいりましたので、私が一番個人的に聞きたいのを話させていただきます。先ほどの黒川さんもそうで、鈴木先生もそうでしたけれども、科学者にはある苛立ちがあります。なぜ世間はわかってくれないのかと。なぜ皆さんわかってくれないのかと。そういう意味で例えば皆さんに合意を得るために危機感を煽るやり方をずっとしてきた。
  実は、それは新聞を売るやり方と同じなわけです。新聞も実は戦争があるたび部数が増えて、今ちょっと部数が減ってるようなところになってるんです。
  そうじゃなくて、例えば巨人軍が勝ったというような喜びの科学というか、要するにどうやったらその危機感だけじゃなくて、そのためには多分大いに皆さんとイマジネーションを共有できるような、その例えば何か準備が必要だと思うんですけれども、なんかもっとこういうことを進めたら皆さんが幸せになるんじゃないか、つまり本当の意味で科学が生活者に豊かさをもたらすんだよっていうようなことをですね、うまく説得できるような方法とか、あるいはそういうような社会をつくり上げていく、そういうことが理解できるような、あるいは科学を全容できるような社会をつくり上げていくためには何が重要だと、そこを黒川先生に口火を切っていただきたい。

黒川)
  一つはここにありますように、今どこの国でもそうですけど、科学離れって言うけれども、本当にそうなのかっていうのはちょっとわかりません。なぜかというと、子供は、子供さんとかお孫さん見ればわかると思いますけど、目を見るといろんなポテンシャルがあっていろんなことを聞きたいわけですよ。なんでお星様は光るのかとか、なんで電気は消えるのかとかといったときに、まわりの大人がなんていいます?そんなこと当たり前でしょう。そんなことは考えなくてもいいのよ。試験には役立たない。これがだめにするんですよ。子供たちは生まれつき興味津々なんだから、それをだめにしてるのはまわりの大人ですよ。間違いなく。
  もう一つは少子化になってきます。それから核家族になってます。これは工業社会はこうなっちゃうんですよ。農村じゃないから。そうなると、子供たちは自分の子供を生むまでは赤ちゃん抱いたことがないんです。抱いたことがなくて、その育て方がわからないんだけども、まわりにおじいちゃんもおばあちゃんもお兄ちゃんもお姉ちゃんもいないから非常に不安なの。
  テレビで見てるバーチャルな世界ばっかりですから、やっぱりこれが問題でね。私東海大学にいたときもそうなんだけど、赤ちゃんが生まれたお産のところに中学生、高校生を連れてきてね、赤ちゃん抱っこさせろというようなことをさせるのはすごく大事なんですよ。ああいうときに抱っこすると赤ちゃんてこんなに可愛くてやわらかいんだということがわかるんだけれども、今ほとんどみてないと思いますよ。
  そこで何をしているかというと、今大学が独立行政法人化かなんかして、地域の産学連携なんていうけど、そうじゃなくて、その地域には子供が必ずいるから、皆がおじいさん、お姉さん、おばさん、おじさん、皆コミュニティで子供を育てようと、科学者も社会歴史的には子供を育てる、皆で育てるというのは一つでね。そうすると子供は幼稚園に行き、小学校に行き、中学校に行くと皆周りが知ってるじゃないか。お前ずいぶん育ったなぁなんて人がたくさんいれば、やっぱりそのお母さんもお父さんも不安なんだから、皆がコミュニティで育ててあげることが大事です。
  なぜ科学者の方がまずやりなさいといったのは、学生もそうだし、大学院生もそうだし、やりなさいっていうのはあくまでもソーシャルジャッジメントが経済とかそういう話じゃなくてニュートラルだからこそ大学の評価軸に地域社会の貢献、特にその産業じゃなくてね、そういうことをやってくださいってことを今文部省に言ってます。そうすると急にやりだすんだから。だから言われないとやらないというところがまた情けないなと思ってます。

宮田)
  鈴木先生いかがですか、その辺。

鈴木)
  成功事例って言うんでしょうか、どういう、例えば環境問題を解決したことに対する、ある意味では子供たちなり、あるいは周辺の方々が喜びを感じるというのは、なかなか地球環境問題では話の紐が長くてですね、とても間に合わないんですが、例えば、いろいろなプロジェクトが今NPOを中心にずいぶん動いているんですね。これは私は非常に力強く思っております。
  例えば、霞ヶ浦のアサザプロジェクトであったり、琵琶湖であったり、あるいは菜種油を使う、そういうようなところでやっぱりその仕組みを知っていくっていうか、前はただきれいなところでメダカを追っかける、あるいは魚を追いかけるっていうようなことが、もうちょっとその自然の仕組みを、物質循環であったり、あるいは森と水がどういうふうに絡んでいるのか、いろんなことを知っていくというようなことは環境問題を通じていろんなケースが生まれてきてる、私はそこは非常に期待してるんですね。それをだから、どんどんどんどんもっと強力に進めていくような仕組みを、例えば我々がやっているゼロエミッションというのは実際人間の活動、その生活活動とそれから自然の生態系を統合的に完結した仕組みをどうつくるか、これは昔はあったわけだけれども今の生活パターンでどうそれを実現するかっていうのはそんなに易しいことではないんですけど。そういうところに子供たちなり、地域の住民の方々を巻き込んでいく。そういう地道な努力しかないのかなと、逆にそれが一番効果があるのかなという感じを持ってますけど。
  これはやっぱり都会に住んで、大都会に住んでる、先ほど黒川先生が70パーセントは都会にとおっしゃいましたが、世界全体としても、アジアなんかもそうなんですね、要するに人口の都会への流入がものすごく進んでいる。それがスラム化につながり、東京もスラムですよね、そうは思ってはおられないかもしれないけど。やっぱり豊かな暮らしはどういうところにあるのかっていうこと、また価値観をリフレッシュするというのはものすごく大事なんで、それをどういうきっかけで皆さんがパラダイムを変えていただけるのかと、これに実は私は期待せざるを得ないかなと、そういう意味での種はいろいろとありますけれど、まだ時間いただければお話しますが。

宮田)
  それは今度やりましょう。あと5分です。5時に二人お帰りになるということなので、5時までに終わらなければなりません。会場からもしご質問があれば一つ。なければ私が松原先生に一つ。つまり、ライフサイエンスとかバイオテクノロジーの繊細(タッチー)な問題は人間をいじる可能性がある。あるいは人間を材料にして研究をする。
  さらには環境をひょっとしたら変えてしまう可能性がある。GMOなんてそういうことですよね。そういうものを、企業が研究して、コマーシャルするっていうことに対してやや疑いを持つ人たちはいるんですね。それが常に私たちも報道しているとそういうような圧力を受けるんですけれども、学問の園である大学から先生は飛び出されて、利益を追求するベンチャービジネスの社長になられましたよね。そこで代表として、ちょっとコメントをそれについていただきたいんですが。

松原)
  それに関してはですね、個人の利益を追求するということの自由があくまでも許されているという、非常に不思議な社会と時代に我々生きていると思うんです。それが反社会的な、あるいは人類、あるいは自分の地域の全体の利益に反するようなところ、ギリギリのところが結構いろんなところに出てくるわけなんですね。それを一言で反社会的っていうとちょっと犯罪的な匂いがしてまずいのですけど、それをどういうふうに折り合わせるかというところの教育が非常に必要だと思うんです。
  それで例えばですね。受精卵を操作して自分とそっくりな人間をこしらえて、将来なんか事故が起こったときにパーツに使おうとか、脳のことをよく理解してあいつの考えを自分の考えに近いほうになんとか改造しようとか、いろんなそういうようなことは技術的な研究は結構なんですけれども、それを使おうというようなこと、反社会的であると、そういうようなことを研究するとしてもそれを社会にどういうふうに扱っていくかということに関して非常にしっかりして教育をしなければならない。
  その教育の仕方は、ほったらかしていくと大体私こんなに苦しんでいる、こんなにお金が欲しい、こんなに人を助けたい、と思っているそのエモーションに引きずられてどこにも留め金がないんですね。それがどこで止まるかということは人間なんて、さっき言ったようにがんばったって80年から100年くらいしか生きられないもんで、今から、今の生活をエキストラポレート(推定する、推測するの意)して、もし病気になったらどうしようっていうようなことを考えたとしても、それが全体の大してためになることでもない。それよりもそういう教育を受けていない人たちにも、もっと受けさせるような機会、例えば、さっきまた例に出たんですけども、アメリカのナショナルアカデミーオブサイエンスの総裁のブルース・アルバーツなんかはちゃんと生命の教育はこうあるべきだということを、教科書を皆につくらせて、学ぶ機会のない人にも、それをインターネットでその気があれば学べるというような場を提供しようとしている。
  こういうときに命とは何かということを考える。人間というのはどういう背景を持っているのかということを考える。そういうところで矛盾の出てくる問題というのは、私が困っているからこれをしてもいいんだというところに歯止めがあるということの教育の機会からそれが来るんじゃなかなというふうに私は思います。

宮田)
  先生ありがとうございました。今、皆さん、しんみりしてましたけれども、実は生活者に豊かさを与えるかという問いに関しては今松原先生がおっしゃったように、ひょっとしたら自分たちは足るを知るということに、サステイナビリティも全て関与してくる可能性があります。例えば先ほど鈴木先生がおっしゃってましたけど、2050年に7億人、本来の人口増よりも減る。これはエイズのせいだと、ところが、エイズのクスリをつくっちゃったらどうなるのか?ワクチンをつくっちゃったらどうなるのか?要するに私たちが単純に科学技術っていうものを自分の欲望とか自分の身近な手に届くぐらいのイマジネーションでもうドライブする時代は終わってしまったということが今回のパネルディスカッションの結論です。すいません、その程度しかできませんでした。
  これ以降、また武田財団がこういったすばらしいシンポジウムを、あるいはパネルをやられることを期待して今日のパネルは終わりたいと思います。パネリストの皆さん、ありがとうございました。

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Last modified 2005.3.1 Copyright(c)2002 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.