|
|
|
|
財団法人武田計測先端知財団 理事長
武田 郁夫 |
|
|
大戸)
皆様、本日はお忙しい中、財団法人武田計測先端知財団主催の武田シンポジウムにご来場いただきまして、
誠にありがとうございます。時間になりましたので、シンポジウムを始めたいと思います。私は本日の進行役を担当します、
武田計測先端知財団の大戸でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。開演にあたりまして、
主催者を代表いたしまして、武田計測先端知財団理事長、武田郁夫よりご挨拶申し上げます。では理事長、お願いします。
武田)
本日は皆さん、お出でいただきましてありがとうございます。挨拶を申し上げます。
私どもの考えとしまして、人間が営む、ビジネスの成功とはよく金儲けにあるといわれるのですけれども、
これは失敗してしまうことが多いのではないかと思っております。私は金儲けよりも、地球上に多くの生活者がおるので
ございますけれども、その一人一人の生活者の方のために豊かさと幸せという富を捧げるということがビジネスの使命
ではないかと思っております。あたかもお参りに来た僧侶に住人が施すお布施のようなものでございます。ビジネスに
よって創り出された価値の代価として、生活者から富をいただくことができます。創り出された価値が多ければ、その
分代価は思いのほか多くなるのであると思っております。小さな先発企業が先にビジネスを始めたとしますと、強い企業
は物まねで追いかけてくるということが世の中には多いのでありますけれども、先発企業が有利な市場、最初にそれに
一番に入ったわけでありますから、その情報を先取りするマーケティング戦略というものをしっかりやっていけば、
十分強くいられます。世界で小さくとも、ナンバーワンというよりもオンリーワンの道を辿っていけば、
これは継続していけるものであると思っております。市場に入りますと、さらに10倍、20倍という市場が見えてまいります。
したがって、それによってずっとその市場のオンリーワンというものは続けられると思うのであります。
私の場合には1954年、昭和29年でございますけれども、タケダ理研というものを創業しました。一株の株価は50円で
ございますけれども、29年後にちょうど上場いたして、1983年8月には株価が日本一の15,000円の値をつけたわけで
ございますが、実に300倍の資産となりました。私は儲けようとしてビジネスを始めたわけではありません。
結果として儲けがあったという実感で、お客さんのためにどうして豊かさを差し上げるかということに夢中になって
おれば、これはうまくいく。決してビジネスは金儲けだと考えてはやはり間違うのではないかと思っております。
私は1943年、昭和18年、これは大学生2年生の4月初めでございましたけれども、
学徒動員によりまして、逓信省の電気試験場の神代分室に配属されました。半導体R&Dの研究に携わり、
大学の電気工学科にいたのではとても勉強できなかったような量子力学固体論という学問の魅力に酔いしれて、
大変幸せな時間を過ごしたのでございます。学徒動員では、友人たちはほとんどが工場などに配属されまして、
たまたま自分はこの研究所で仕事をしたことが非常に幸運であったと思っております。
ちょうどその学徒動員で配属された真空管の研究所で、私の人生の恩師であります清宮博さんという方に出会いました。
清宮氏はちょうど量子力学的固体論が学問的に、昭和14年ごろですか、世の中に出るようになったのでありますが、
清宮氏は将来半導体というものが発展すると、新しい市場をつくると、人々のための豊かさをつくると、
いうふうにお考えになりまして、半導体産業を目指そうということで、真空管の研究所ではございましたが、
そうお考えになられました。ちょうどそこへ私が入ったわけでありますが、その熱意の中に私は、研究者として、
研究者の使命というのはこの人々に豊かさをもたらすというヒューマニズムを教えられたのであります。
かくして、1950年までその研究所で研究生活をしておったのでありますけれども、
マッカーサーのレッドパージというものが吹き荒れまして、これは昭和25年でありますけれども、
私は研究生活にピリオドを打たなければならなくなりました。そして、千野製作所というものがありまして、
そこの幹部たちと小さな会社をつくったんでありますが、それから4年後に電子計測のベンチャー会社
タケダ理研工業というものを設立しました。清宮氏の言われたごとく、当時、日本の半導体の競争力は
非常に強かったのでありまして、NECなどは売り上げが世界ナンバーワンを続けていました。
ところがやはり、昭和14、5年ごろから半導体というものを育ててきた清宮氏に、まず、
日本の技術をアメリカに輸出して、市場をつくるだけの技術力がなければ、それではビジネスではないよと教えられまし。
私も半導体というものが計測技術としてアメリカに輸出できるようにということでスタートさせたのでありますが、
それが大変な成功につながりましたのは、やはり日本の半導体に対する技術的な競争力があったということが
いえると思います。今現在、アドバンテストという会社がございまして、その前身がタケダ理研という会社でありますが、
今もこの会社はICテストシステムで世界ナンバーワンになっております。
こういうふうになれましたのもこの図にございますように、1984年ごろから競争力をつけまして、
世界ナンバーワンになっていったのであります。この半導体テスターの開発には約11年をかけてました。
こういう私の体験から申しまして、この度はバイオテクノロジーによってもたらされる生活者の豊かさということで
お話をいただける、またはディスカッションが行われることになっておりますけれども、この方面においても、
我々は日本の技術として育っていくだろうと思っております。以上、ご挨拶といたします。 |
|
|