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松原謙一


(株)DNAチップ研究所社長
松原 謙一



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生命科学の基盤となったDNA研究

[年表1]
この年表は、実は20年ぐらい前に私が岩波の「生命の分子生物化学」というもののために、どういう技術的な発展、どういうコンセプトの発展があるかということを1869年にDNAが単離されたときからずっと時系列(クロノジカル)にまとめてみたものですけれども、たくさんございますのでこれを主なところを黄色の括弧で括ってみました(注、本ホームページでは抜粋された箇所のみ年表にしてある)。1869年、有名なDNAの単離、これはドイツのミーシャから始まっております。先ほど申しましたように、今世紀になって生化学的な研究が盛んに行われた後で、1940年ごろになってアメリカで大腸菌を使った物理学者による研究が始まってまいりました。これは当時、バクテリオファージを中心にして仕事をいたしましたのでファージグループということになっております。大腸菌をモデルにして、生命現象の基礎的なことを研究するという一貫した仕事のやり方でありますけれども、44年になってDNAが遺伝物質そのものであるということが明らかになってまいりました。そして、53年ごろになるとDNAの二重らせんモデルというのが出てきたのであります。このDNAの二重らせんモデルがその後の研究の大発展の引き金になりましたけれども、そのDNAを56年になると酵素を使って増やすことができるという状況が出てまいりました。60年ごろになりますとようやくX線解析によってたんぱく質の構造を決めるとか、それから61年ごろになりますとDNAの性質がだいぶわかってまいりまして、二重らせんがくっついたり離れたりする、それから遺伝子がどういうものかということがオペロン説というような格好でわかるようになってまいりました。その後のほうにあるのは、遺伝子の上のヌクレオチドの並びが、つまり文字配列が遺伝暗号であるということで、その遺伝暗号の解明であるとか、その遺伝暗号を自由に変えるニトロソグアジニン法というようなものが出てきたのであります。

[図4]
これは簡単なことでありますけれども、DNAの二重らせん、皆さんよくご覧になっていると思いますけれども、このATGCという縦方向に連なっているこの赤い丸と黄色い丸とのつながった2本の鎖がよじれたようになっております。黄色い丸がリン酸ですけれども、この2本の鎖を構成しているのがATGCという4種類のヌクレオチドという物質で、それがラダーはしご状になっているわけですね。それでこの並びでもって遺伝暗号が決められているとはっきりとわかってまいりました。先ほどのDNA研究のインパクトでありますけれども、遺伝子というものはDNAであると、そして遺伝暗号の解読ができるようになったと、そしてDNA研究に関連する技術が大進歩するという次のフェーズに入ったのであります。

[年表1]
もう一回ここのところでご覧いただきますと、コドン解読完了というようなことがあります(1965年)。これでATGCの並びにどういう暗号が書いてあるかということが完全に読めるようになりまして、DNAとRNAというものがどういう関係にあるか、互いに二重らせんをつくって組み合わさるようなことさえもできて、これが暗号の、生物の中での解読に使われているということがわかってまいりまして、70年代になりますと、大腸菌のトランスフェクション、つまりDNAを使って微生物を改造することができるという技術が出てまいりました。そして、先ほど申しました次のフェーズにいくのですけれども、逆転写酵素の発見、この辺になりますと、遺伝暗号が細胞の中にメッセンジャーと言う形で読み取られたものをもう一回遺伝子につくり直す技術が出てきて、それから70年代になると今度はそれを化学合成をしてしまう。そして、試験管の中で組換えDNA分子をつくるという、非常に画期的な技術につながったわけであります。そうすると、異なった生物のDNAを、この場合は蛙でありましたけれども、それを大腸菌の中に入れてしまうとか、それからもういろいろなことが自由自在にできるようになってまいりまして、75年になるとインターロイキンUの細胞の増殖分化誘導など自由にする。そして、人の成長ホルモンなどをつくるということができると同時に、75年ぐらいになると文字配列を完全に読む方法論もサンガーによってできたという、こういう発展が、まるで二重らせんの絡まっているように次から次からと起こってきたのであります。

[年表](戻る)
リン酸カルシウム法によって、今度は大腸菌ではなくて動物細胞をつくり変えるということができますし、その次のφX(ファイエックス)174になりますともう、1匹の小さいウィルスでありますけれども、生物のDNAの文字配列を全部読んでしまう。そして、大腸菌を使ってインスリンを生産するという、78年ごろになると企業的に目を見張るような仕事が出始めてきました。80年ぐらいになりますと、今度は受精卵を操作すると、遺伝子を改造して受精卵に持ち込んだりするという仕事が出てきました。81年ごろになって、ヒトのがん遺伝子の研究などにDNAのすばらしい影響が出てくるようになってまいりました。82年ごろになるとDNAの解析がどんどんできてきましたので、そういうもののデータベースをつくるという国際的な努力をしなければならないような時代になってまいりましたし、c-rasの遺伝子と、この辺になるとがんの研究は遺伝子研究なしには全くやっていかれないという世界的な大転換の時代になってきたのであります。84年には、とうとう形をつくるという問題まで遺伝子で解析するようになってきましたし、83年のハンチントン舞踏病というのになりますと、これまでの医学でどうにも解けなかった病気をDNAの研究で遺伝子を見つけてしまうという時代が始まってきました。85年ぐらいになりますとヒトは多型マーカーと書いておりますけれど、ヒトは皆同じではない、皆遺伝子が違っている、かなり微妙に違っているということがわかってまいりましたし、87年には大腸菌に過ぎませんけれども大腸菌の全DNAをばらばらにしてそれをすっかり並べあげてしまう、整列クローンというのですが、それができました。そして88年になってポリメラーゼ連鎖(チェーン)反応という遺伝子を試験管の中で完全に増やす技術が出てきました。

年表1
[年表1]

































図2
[図4]









年表1
[年表1]



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