吉川先生と西村先生を囲んでの全体座談会
1.Disciplineの価値評価
2.賞賛の意味
3.目に見えないものの評価
4.生活者の欲する空間
5.本来の工学
6.第二種基礎研究の例
7.公的資金と私的資金
8.現実に富を作るのは企業
9.第二種基礎研究は民にもある
10.目標設定が重要
11.第二種基礎研究には方法論の構築が必要


8.現実に富を作るのは企業

(大戸) 
先生が現実に富をつくるのは企業であるという話ですが、私ども、私、前の会社の時に、共同研究をしようと思った時に、研究所に奨学寄付金で入れてくれと言われました。大学というのは公的機関だから私企業のために研究するということはできないよというふうな話がありました。ところが今回、産総研の人は第1種から開発であってもやると、なおかつ企業と共同研究、共同開発しようというお話ですね。そこの論理というのはどういうふうになるのですか。私企業のためではない…。

(吉川) 
だから私は、私企業のために研究してはいけないといういわば1950年、60年代からの、主張に私はある意味では基本的に反対だったのです。ですから今、ようやくその時期が来たわけです。私は企業しか富をつくる装置はないぞっていうことを、この10年ぐらい言い続けているのです。ようやくそれが世の中、わが国でも理解されるようになってきました。そうやってみるとそうかと。産業も極めて公的な側面があります、利潤を追求するというのは、決して私腹を肥やすわけではないのですね。利潤を追求するというメカニズムの中で富をつくる装置ですから、必要条件になるでしょう。そういうことがわかってきた以上、公的資金を投入するのじゃないのです、公的資金をそこに投入したら、これは銀行と同じなのです。それは自立してやるというのが企業ですから。その手前まで、どこまで公的資金で企業が最高に効率を発揮できる情報を提供するかというのは、今度は研究所の公的資金で動いている研究所の側の仕事で、これは企業と接しながらやらなければ駄目です。論文を放り出しているだけでは駄目で、具体的に必要な、私はその製品と呼んでいるのだけれども、研究者も製品を提供しなければいけません。こういうシナリオになるわけですから、ご指摘のコンセプトを壊して、今のコンセプトに入ってきたということだと思います。前は駄目だったのです、できなかったのです。それはなんか私企業、自分の利益とかね、社員の利益だけやっていると、そういう考えだったでしょう。だけど、製品になれば、やはりそれを買う、買える人は全部恩恵を被るわけです。

(西村) 
アメリカが確か、バイドール法をつくる時も、その議論がずいぶんあって、公的資金による研究成果を、その研究をした大学のものにしていく、そこまではよくても、結果的にはその大学は特定の私企業にその特許を実施させると、公的資金の結果で特定の私企業を利することになるのではないかと、なんでそれがいいのだっていう議論がずいぶんあった。その時に結局今の吉川先生がおっしゃったように、何もしないで休眠していれば、誰の得にもなりません。特定の企業を通じて、それが現実の価値になれば、雇用は生まれる、税金も増える、休眠しているよりはよほどましというこっちのほうが勝ったわけです。そのバイドール法が出来たのが1980年です。それ以後、世界中で、その考えを採用する方向に動いてきているのです。

(吉川) 
アメリカは依然としてまだ反対勢力があるのですね。非常に危険な状況ではあるのだけれども、ですが国際的に連携してやる必要はあると思います。非常に反対はエモーショナルだってアメリカ人は言います。なんか感情的にどこかの大学が儲かった、嫌だっていうわけです。だけどそれはしょうがないと。そういう一種のコンペティションの中で社会全体が、今はそっちのほうが勝っているわけですから、それをやはり現実に受け入れなければいけないでしょうね。

(大戸) 
東大の先端工学研究所の後藤先生なんかは、1企業が得る利益というのと、社会が受ける利益というのを比べると、1企業が受ける利益の何倍ものの利益を、社会が受けるのだと。定量的にそうなっているから、そこに公的な政策が関与する義務があるのだというふうなお話がありました。そうかなと思います。

(吉川) 
それはいいお話ですね。

(鈴木) 
日本のやっている公と私のあり方というのは、いろいろ今、問題が増えつつあるわけで、例えば国立大学の独立行政法人化とか、そういうことと同時に、官のほうもかなりやはり文化を変えなければいけない。要するにベンチャーなんかもこれは1995年でしょうか、文部省で産学連携の推進方策を考える会をやった時に、私は主査をさせていただいたのですが、あの当時に比べると、今はもうイケイケドンドンで、ともかくベンチャーを官がサポートする体制も出来ている。だいたい官がサポートするベンチャーって何なのだと。今はおかしくもなく動いていますけれどもね。こういう異常な事態というのはもう少し何かこう成熟していく必要があるのではないかと思います。まあ、振り子の原理のようなのかもしれませんけれども。

(吉川) 
そうですね。私は振れすぎてもいいのではないかと思っています。それですぐに気が付きますからね。しかもベンチャーを公的…。ある意味ではアメリカだって、先生がおっしゃるようにアメリカの公っていう概念は何かっていうことなのですけれども、私的ないわゆるファンデーションですね。これは公なのか私なのかわからないわけです。意識としては公なのです。そういう人が、いわゆるベンチャーマネーの大元にいるわけですから、もしかしたらアメリカのベンチャーっていうのも公的なものが支えていたのかもわかりません。公というのは官ではないのです。民の公ですね。そういうお金にはいろいろな連続的な種類があるでしょう。日本には民の公がいないのです。ですから、官がそれに代わっているということです。それはやはり人々が許せばいいのでしょう。官に税金をみんな寄付してやるから、そういうベンチャーマネーを官として使ってくれって、国民が言えばそれは使ってもいい。それは言っていないのにやっているのですから、それは難しい問題ですね。それはきちんとしなければいけないですよね。



 
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