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5.本来の工学
(鈴木) 先ほど来の話の繰り返しになってしまうかもしれませんが、私自身の定義している「工学」というのは、たぶん吉川先生が狙っておられる「第二種基礎研究」に近いのではないかと思います。私はもともと化学工学の出身なのですが、応用化学という巨大な工学部の化学の体系があって、そこにほぼ30年前に化学工学というものが学科としてつくられた時に、いったい化学工学というのは何だろうということでずいぶん議論をしたのです。結局、行き着いた先はやはり方法論を抽象化して体系化していくものが化学工学であり、工学の本質というのは本来そういうものではないか。それから見ると、従来の工学というのは対象毎の応用科学みたいなもので、かなり堕落していたのではないかと思いました。そのなかではやはり「設計論」などは、方法論を追及しているという意味で工学なのです。つまり、工学というのは、方法論というかたちである程度体系化を目指していて、サイエンスというそれぞれの個別の対象領域で、それなりに事実を体系化しているものとの両方の軸が存在すると考えるわけです。そういう方法論というような観点で見てみると、たとえば「環境科学」は、まさにその目的、すなわち環境問題の解決というところががはっきりしていて、それをいかに解くかという、その方法論がまさに問われているのです。そういう意味で、私は環境科学というのは、問題解決科学であるいう意味で、工学と極めて近いという主張をしているのですが、これは理学部の方々からはひんしゅくを買います。そういう見方で見てみると、モード2というのも、実は「方法論」というかたちで整理されてしまうもので、要するに目的だけ極めて明確に設定すれば、そういう対象に対するサイエンスを利用する「手法、方法論」の学問として成立してしまいます。こう考えてしまうのが画いちばんわかりやすいのかなと思っているのです。
この点に関連して、学会でもいろいろ悩みがおこることがあり、例えば環境関連の学会もいわゆるピアレビューに沿って掲載される論文の他に、方法論の開発を誘導する目的で、どういうカテゴリーをつくるのか、調査資料でもないし、何かもう少し価値の見えるものというのはあるのではないかと大変苦労しながら、色々と試み、多くの場合はそれが長続きしないというか失敗していることが多い。そこのところと何か共通するようなところがあって、そこが方法論、メソドロジーの問題なのかなと思っているのです。しかしながら、そこに「科学技術と社会」なんていう切り分けが入ってくると、途端に話がつまらなくなってくるところもあって、だからといって方法論だけで抽象化していくと、まあ哲学みたいなものに正直昇華されていってしまうようなところもあるという、そこが悩みなのです。
(赤城) 結局、工学といった時の対象分野がいわゆる現実の人間みたいなものをやはり含んでしまうのではないかと思います。社会とかというとつまらなくなってしまうのかもしれないのですけれども。
(鈴木) それを含むがゆえに、方法論の重要性が生まれてくるという面もあるのかもしれません。
(赤城) その時に例えば経済だとか、そういったものが入ってきてしまうのだと思うのです。今、調査でプラズマディスプレイを調べているのですけれども、やはり技術的なポイントがあります。解像度をあげるとか、カラーにするために、早く駆動しなければいけないなどといった技術的な点はあるのですけれども、その間に一方では、社会が豊かになって、ホームシアターみたいなのが欲しくって、大きなディスプレイでテレビを見たいというふうな動きがあって、そのためにHDTVというような、高解像度のテレビ放送が始まるというようなことがあって初めて日の目を見るというようなことがあるわけです。では工学という体系という時に、そういうものをどうやって入れるのか。入れないのか入れるのか…。
(鈴木) いや、ですから目標設定の段階で、やはり人間が設定するという部分が入ってきていまして、その目標にたどり着くために、いかに合理的なパスを通ってたどり着いていくかというようなところの方法論を評価していくということでしょう。工学が果たして、価値にまで踏み込むかどうか、そこはまた1つの分かれ目だと思います。私は、工学自身が価値の設定にまで関与していかなくてはいけないとは感じてはいるのですが、それはなかなか皆さんの合意が得られないと思っています。
(赤城) その時の価値というのは、価値観みたいな意味での価値ですか。
(鈴木) 価値観みたいなものもあり、例えば本当に市場経済を追求していくことが正しいのかどうかとか。
(赤城) というような価値観ですね。市場原理で言う価値というのとは違うわけですね。
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