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講師: 斎藤成也(さいとう・なるや)、
ゲスト講師: 佐々木閑(ささき・しずか)
日時: 2006年4月21日 |
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日本人はどこから来て、どこへ行くのか |
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三井: 極めて個人的なお話ですね。
>> 頭の良い悪いというのは、両親が頭が良かったからと言って、必ず頭の良い子が産まれるというのではなくても、
遺伝はすると思うんですが、気質的なものはどうなんでしょうか。たとえば、我々がこうして和やかに話していたりとか、人の幸せを願ったりとか、
利他の心をもつというようなことは、遺伝子の中に組み込まれているのでしょうか。最近の日本とか、文化的に進んだ先進国の悲惨な事件を耳にするにつけて、
この先、人間はどうなっていくんだろうと思いますので。
佐々木: それこそ利己的遺伝子なのかどうかという問題になりますけども、ドーキンスの言う利己的遺伝子というのは、
人間が他人に対して利益を与えるということが、自分の種を残すという本能と結びついているのではないかということですね。
個体の場合には、あくまで自分が生き残るというのは大事ですが、ただ、人間の脳は、他者という存在と自分という存在を、
全体として一括して考えるだけの知能を持つようになりましたからね。そういう意味では、動物では見た目は利他的なことをしているように見えるけれども、
実は利己的であるということがあるかもしれない。しかし、人間の場合には、最初から利他ということを考えて行動するという行動パターンができていますから。
僕は、動物と人間の間にあまり線引きはしたくないけれども、人間は少なくとも、利他というものを元々感じる生物だろうと思っています。
お釈迦さんが、それを感じたかどうか、僕は知りませんが、そういうものが人間の文化の非常に重要な基盤にはなっていると思います。
これがなくなったら、斎藤君は構わんというけれども、滅びちゃうかもしれませんね。
斎藤: 見かけは利他に見えても、実際は利己というのが普通の科学論理です。ドーキンスの話が出ましたが、
ハミルトンという人も、見かけは他人を助けるような美しい行動に見えても、いろんな遺伝子を見ると、実は利己になっていると言っていますね。
非常に単純な言い方をすると、目先の利益だけを考えてやるのは利己主義ですよね。
ズーッと先の先まで考えて行動すると、見かけは利他になるってことは、結構あるんじゃないでしょうか。これは模範生的な考え方ですね。
ただ、佐々木さんが仰ったように、人間は特別だと考えますと、文化があるので、遺伝子から離れて、利他的なパターンが刷り込まれていき、
利他的なものが良いという文化的な価値観がでてくるという見方はありますね。ただ、この人は、なんて親切なんだろうというような人がいるんですよね。
それは、その人の産まれた環境、家族とか家庭が大きいと思うのですが、学習かもしれません。ひょっとすると、
遺伝子があるかもしれないなぁという気もします。ただ、本当に利他だったら、科学的な理論では、その遺伝子は死に絶えるはずですから、うーん、微妙ですね。
佐々木: でも、そういう人は素晴らしいということを認める社会があれば、その遺伝子は残るんじゃないですか。
斎藤: 私は、基本的には性悪説で、大多数の科学者と同じように、
全ての生物は利己的に振る舞っているはずだという前提に立ちたいんですけども、人間はちょっと変じゃないかなという気はします。
三井: いつも、終わり頃になると盛り上がって来るんですが、この会場が9時までですので、
そろそろお終いにしなければいけません。今日は、どうも有り難うございました。
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