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講師: 斎藤成也(さいとう・なるや)、
ゲスト講師: 佐々木閑(ささき・しずか)
日時: 2006年4月21日 |
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日本人はどこから来て、どこへ行くのか |
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そろそろ、始めたいと思います。実は、お申し込みのときに、皆さんが予々疑問に思っていることや、お聞きしたいことなどを書いて下さったんですが、
その中に、「人間は進化しているのか、退化しているのか」というのが複数ありました。「進化している」と思われる方、どのくらいいらっしゃいますか。
(パラパラと挙手)
意外と少ないんですね。残りの方は、退化していると思われるんですか。
(斎藤さんにつられて、手を挙げる人が・・・・・)
どういう理由で退化しているとお思いになりますか。
>> 最近、抗菌というか、いろんな菌から体を守ってしまうというふうに、周囲の環境のほうが良くなってしまったので、
そういう意味で退化しているんじゃないかと思います。
三井: つまり、人間として生存するための能力が弱くなったということですか。進化、退化というのではなくて、
変化しているというお声がかかりましたけれど、その辺は、斎藤さんの一番お得意な分野ですね。
斎藤: 優等生的な模範解答は、「変化している」ですね。
それではつまらないので、私は敢えて、「退化している」ほうに手を挙げました。
ちょっと難しい言葉で言うと、「熱的死」に向かっていると考えれば、やがて全部フラットになって消えていくんですね。
「熱的死」というのは、つまり、熱い物体と冷たい物体があって、放っておくと、やがて熱いものは冷えていき、冷たいものが少し温かくなって、
全体に同じ温度になりますが、そういう平衡状態、何にも変化がなくなる状態で、そこに向かっていると考えると、それは一つの退化かもしれない。
ただ、それは単なる一つの仮説なので、分かりませんね。しかも閉じた状態の話だから。宇宙が閉じているかどうか分からないので、何とも言えません。
ただ、生物は、やがて、必ず絶滅しますから、そういう意味では、特に進化しているとは思えないんですけどね。私は悲観論者ですので。(笑)
三井: 退化しているというご意見のほうが多かったようですけれど、進化していると仰った方もいらっしゃいましたね。
>> 昔はできなかったことが、今は、いろいろできますね。
人間は、感覚的には退化したんでしょうけども、総合的には、昔とは違って、安定した生活をしているという気がして、進化しているというふうに思っています。
三井: 「進化」と「退化」というのを、斎藤さんも皆さんも、比較的マクロな見方でお答えになりましたけれど、
今日のテーマの一つに、「DNAから見る」ということがありまして、おそらく皆さんも、その辺のことをお聞きになりたいのではないかなと思いますが。
斎藤: DNAには、A、T、G、Cがズラッと並んでいて、そこに突然変異がバラバラと降ってくる。どんどん降ってくると、
やがて、余り変わらない状態になるということは、理論的に仮想することはできますよね。そうすると、変化がなくなることと同じです。
そこら辺が、私達が普通考えている進化とは違うんですが、今は、何十億年も後の話をしていてるので極端かもしれませんが、
1万年くらい後の日本人だったら、当然何らかの変化はあります。それを進化と見ることは、もちろんあります。
ただ、先程の話は、どちらかというと文化的な話で、皮肉な言い方をすれば、医療が発達すると、
今まで生き残れなかったいろんな突然変異が生き残っていくので、そういう意味では、退化という見方をする人もいます。
>> 僕が聞いたところでは、「進化」の反対は「退化」ではなくて、「進化しない」であると。
こういう観点から言うと、今回の話はどうなるのでしょうか。
三井: 進化の定義ということになるんでしょうか。
佐々木: 仏教の立場から言うと、これは、環境と人間とがどう対峙していくかという問題です。
仏教は全て相対的に見ろと言うんですね。場所によっては進化していると考えられるものも、環境が変化したら、その進化が、逆に、
その生物にとって害悪になるかもしれないということです。特定のレッテルを貼って、進化、退化と呼ぶこと自体が、
ちょっと決めつけ過ぎじゃないかというのが、仏教的な相対論の考え方です。これは科学的ではないかもしれませんが。
三井: 進化の話は堂々巡りになりそうですね。
>> 先程、斎藤さんが、「熱的死」と仰られたことの、もう少し突っ込んだ内容をお伺いしたいと思います。
生命現象というのは、「熱的死」に反するというか、そのエントロピーを減らすような方向に動くことだと理解しているのですが。
三井: エントロピーというのは、放っておくと増大するというふうに、学校では習いましたけど。
閉鎖系ではですね。生命系は閉鎖系ではないから。
斎藤: 論争を引き起こすために、敢えて、「熱的死」のことを言ったんですが、本当を言うと、私は信じていません。
開放系論者なので、何でも開けっ広げでやっています。「熱的死」は、マクロでは分かりませんが、ミクロにはあり得ないと思います。
マクロな話は宇宙論ですから、物理学の人にやってもらわないといけない問題で、今回の話としては大き過ぎると思うんですが、
地球の生命に関しては、「熱的死」はないと考えてよいと思います。
三井: 「日本人はどこから来て、どこへ行くのか」というテーマから、どんどん外れていってしまったようですので、
この辺でちょっと戻したいと思います。DNAを分析して、どうしてそれが分かるのかというようなことですね。
どなたか、自分はこう思っているという方、いらっしゃいませんか。
>> テレビでは、焼いた骨でも、DNA鑑定ができるというふうに言っていたんですけど、先生はあれが正しいと思われますか。
斎藤: 実は去年のことですが、突然、インドのカルカッタから手紙をもらいました。
チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose, 1897-1945)という、旧日本軍と一緒にインドの独立運動をやった人がいるんですが、
何と、彼の骨が日本のお寺(東京都杉並区の蓮光寺)にあるそうです。
その手紙の主は、インド人の知り合いから僕の名前を聞き、DNA鑑定でもやってくれるんじゃないかと期待して、骨の写真も送ってきたんですが、
日本のことだから、やっぱり焼いているんですよね。僕は、これは駄目だろうと思ったんですが、本当の意味での専門家ではないし、
私達が使うDNAは、生きている生物のものだけなので、念のために、名古屋大学の知り合いの法医学の専門家に聞いたところ、
やはり駄目だと言われました。それを丁寧に手紙に書いて送りましたが、諦めたのか、もう返事は来ないんですけども。
北朝鮮の話では、新聞に骨の状態の写真など出てこないので、僕らは分かりませんね。生焼けだったら、分析できる可能性はあります。
それは法医学でたくさん研究されています。
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