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講師: |
織田孝幸(おだ・たかゆき) |
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楠岡成雄(くすおか・しげお) |
日時: |
2006年12月11日 |
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数学カフェ 「確率の話」 |
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三井:ありがとうございました。数学的に何かありますか。
楠岡:数学的には無理です。
>>> 先程、正確にダイスを作る努力をしているという話がありましたけれど、1から6までの目を区別できないようにしない限りは無理ではないでしょうか。偏りができないようなダイスだったら、見ても分からないのではないかと思ったのですが・・・。
三井:実際にダイスを振るというよりも、頭の中で・・・
織田:数学で考えているのは、現実のサイコロではないのです。以前、数とは何かという話をしましたが、りんごが何個というときには、必ず理想化した状態で考えている。人間だって人数だけ考えていると、人の体重などは無視しているわけです。最も良い例は、飛行機代ですよね。重い人も軽い人も同じ値段を払わされますけど、それは非常に矛盾していると思う。僕の体重の倍ぐらいある人も飛行機代は同じなんですよね。世の中では、そういうようなルールが決まっているわけでしょう。数学も同じなわけです。幾何でもそうでしょう。直線というのは、現実には必ず幅をもっているわけで、引けないわけです。しかも、黒板に描くと必ず曲がっている。だけど、学生には、これをきれいな線だと想像して欲しいわけです。確かに、現実のサイコロは、穴を開けたら重さが違ってくるから、色を塗って区別することになるのかな。いずれにしても、現実のサイコロでは、必ず偏りはあります。確率論は、それを抽象化して偏りはないとしましょうという話から始まるということです。
三井:我々は、未来の分からないことに対して意志決定をしたいときに、確率を拠り所にするわけですけれど、実際に確率どおりのことが起こるわけではありませんね。それと似たようなことではないのですか。
楠岡:必ずしもそうではありません。サイコロは完全にできないと仰いましたけど、我々は、限りなく1/6に近いものを作ることができるというふうに理解しているわけです。よく分からないものに対して確率を問う場合と、本当にその確率を実現するものを作るという両方のことが必要になります。物理乱数というのは、正確なサイコロだと思われるものを使って、つくっているのです。我々が確率を応用するときには、その確率を実現する機械/装置が必要です。そのためにどういうものがあるかというのを追いかけているという事実もあります。ただ、それはもう数学の確率ではないかもしれませんが・・・。
三井:現実の確率を出すために、過去の事象がどれくらい起こっているかというのを調べる統計というものが必要なのではありませんか。たとえば、降雨確率や事故の確率などは統計からきているのでしょう?
楠岡:確率と統計という言葉がまた非常に難しいのですが、我々は次のように理解しています。たとえば、このサイコロには1の目を出す1/6という確率が備わっていて、延々と振り続けると、その頻度はいつかはその確率に近づくのだという信念があるわけです。そして、このサイコロが1の目を出す確率が、本当に1/6かどうかを判定するとき、実際には10回とか100回程度しか振れません。延々とは振れませんね。そこに、統計という概念が登場するわけです。
確率が1/6だとしたら、何が現れるかを研究するのが確率論です。それに対して、本当に1/6かどうかを見るための道具として、統計というのがあります。ですから、統計というのは、確率より一段上のレベルだと考えております。かつ、非常に難しい。
たとえば、このサイコロを100回振って、1の目が100回出てしまったときに、「そういうことは1/6の確率でもあり得ることだから、絶対に1/6でないとは言い切れない」というのは、まさにその通りです。そこで1/6だと言い切らないのは、大人の考え方なんですね。よく言われるんですが、確率論の研究者は子供で、統計の研究者は大人だと。要するに、統計は、100%の真実しか追求しないという考え方は捨てるわけです。私は、そういう考え方に馴染まないので、確率論をやっているというのが実情です。
三井:学校で習ったとき、確率と統計がセットのようになっていたと思うのですが、間違った解釈をしていたのでしょうか。しかし、死亡率というのは、統計から出すわけですよね。
楠岡:死亡率は何かということを、先ず問題にしないといけません。たとえば、1万人のうち、1年間で1,000人死んだら、死亡率は0.1と思うのか。それとも、個々人が死亡確率というのを持っていると思うのか。天気予報で、明日晴れる確率は30%といったときに、明日になれば、晴れかどうか明らかになります。すると、30%というのは何だったのかという話になるわけですね。同様に、死亡率というのは、男女出生比率というのもそうですが、我々は、そういう確率が内在していると考えるわけです。ただし、それがいくらであるか知らないと。それを推定するのが統計学です。統計学がやっているのは、あくまでも推定であって、死亡率が完全に分かったことにはならないというふうに、我々は考えているわけです。生命保険会社が死亡率を気にするのは、過去のデータはあっても、生命保険会社が直面するのは未来の話だからですね。決して、過去どおりの死亡率で未来の人が死ぬわけではない。
三井:やはり、未来の予測できないことに対して、何とか意思決定しなくてはいけないときに、過去の事例とか確率とかを頼りにするわけですね。それがそんなにグラグラしたものでは、私達はどうしたらよろしいのでしょうか。
楠岡:私は実際に死亡率調査に立ち会っておりますが、これは、統計のもつ大数の法則の問題です。たとえば、日本人が1億いるとして、8千万人くらいが保険会社に入っているとします。しかし、保険会社が知ろうとしているのは、8千万人全ての一律の死亡率ではありません。男性と女性の死亡率は違うし、年齢によっても違います。そういうふうに、どんどん切っていきますと、1世代で100万人程度からモノを見ないといけないということになります。若い人の死亡率は1/1000くらいですから、100万人いると1,000人が死亡します。ところが、1人多くても、あるいは少なくても、かなり変わってくるんですね。現実に起こった死亡というのは、確率どおりには絶対起こらないわけで、かなりブレているのです。それは、計算するとすぐに分かります。今、サイコロを100回振って、5の目が20回出たとしても、確率は1/5と言い切れませんね。1/6かもしれない。つまり、データから確率を推定しているわけです。データの頻度、それを経験頻度といいますが、経験頻度が現実の確率だとは全然思っていないということです。
織田:だから、本当の死亡率は分からないと。
三井:それは私も思っていません。あなたの死亡率は30%だと言われても、死ぬかどうかは・・・。
楠岡:生命保険会社が契約しているのは一人だけではありませんので、あくまでも、集団の死亡率を問題にしています。1万人と契約しているとしたら、1万人の人が、1年後に、何人死ぬかを知りたいわけですね。ところが、それは、現実に発生する死亡とも違いますし、確率とも違います。もちろん、過去のデータとも違います。その辺を調整していくものが統計学なんですね。時には一人のものだけを問題にしている場合もありますが、多くの場合には、集団に対して、どれだけ発生するかを問題にしています。
三井:それは、あくまでも保険会社の都合ということですね。
楠岡:生命保険会社というのは、17世紀頃にヨーロッパで成立しましたが、死亡率という概念を生命保険に最初に導入したのは、ハレー彗星を見つけたハレー(Edmond
Halley, 1656-1742)という人です。それまでに調べられていたいろいろなデータをきっちり調べて、それに基づいて保険料を計算しましょうと。そういう学問的な積み重ねのもとでやっているのであって、決して生命保険会社の都合で決めているわけではありません。むしろ、保険会社の方に言わせれば、公平な保険料を定めるべきであって、一方的に不利になるようななものは使わないということで、それは一応学問になっています。生命保険会社というのは一番の悪者にされることが多いのですが、彼らと話をしますと、極めて真面目に考えておられます。
三井:大変失礼致しました。そういうお話が出てきたところで、織田さんがお薦めの本をご紹介します。これは翻訳ですが、ピーター・バーンスタインという人が書いた『リスク
- 神々への反逆』(日経ビジネス文庫)という本です。著者は経済学者なので、後半は株の話が多いのですが、前半には、人間が確率を考えるようになった歴史が割合に詳しく書いてありますので、興味がある方はお読みになるといいかもしれません。
>>>出生率の予測というのは失敗したのですか。それとも意図的に粉飾したのですか。
楠岡:死亡率のほうは、非常に長い間、そう変化するものではなくて、徐々に変化すると思われていたのですが、最近、特に70歳以上の女性の死亡率が急速に改善しているという事実があります。医学の発展が寄与しているのではないかということですが、死亡率ですら、科学の発展に影響を受けます。出生率というのは、もはや自然科学ではなくて、社会環境のようなことの問題だと思います。出生率の予測は、単に過去のデータを少し伸ばした程度のことしかやっていませんので、実際にどれくらいの方が結婚して、どれくらい子供が生まれるかについは、全く理論的な根拠を持たないんですね。当てずっぽうのようなものですから、失敗したと言われれば、その通りでですね。厚労省は、年金のためにやっていますが、明らかに非常に大きく下がっていますけれど、少し違う動きもしていて、全く読めないんですね。過去のデータを睨んでいるだけで、あまり、学問でも何でもないところもあります。
織田:それを使って、国の長期計画を作っているのでしょう。
楠岡:厚労省は巧みな制度改正をしています。世界的にも制度改正がなされています。要するに、そういうことを予め予測して保険料を決めるというのは止めにして、それとともにどんどん変動していくような制度に変えようというのが、ドイツとかスウェーデンで起こっている現象です。実は、日本にもそれが取り入れられています。その辺の話は、確率論の話というよりは、制度設計の問題だろうと思いますね。
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