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第33回レポート
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第33回リーフレット

第33回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  池内了(いけうち・さとる)
日時:  2011年2月21日



世界はパラドックス「レトリックのパラドックス」 BACK NEXT

三井: かねがね疑問に思っていたのですが、お金が回るということは景気が良いということなのですか.

池内: 経済のことはよく知りませんが、一般的にはそうでしょうね.非常に簡単な数学で、何かの売買を組み合わせて続けていくと、非常に少数の者にお金が集中していくことが証明できるのです.そのお金を回すには、離婚で慰謝料を払うとか、泥棒がお金を再分配するというのもありますが、一番良いのは、累進課税です.お金を多く儲けた人から税金を余計にとって、福祉に回す.それもミニマムがあって、低い割合だとほとんど意味はありませんが、ある程度以上になると、お金が常に回るようになります.景気が良いというのは何で判断するのか知りませんが、普通に言うと、非常に貧困層が少なくて、ある程度以上の収入がある人間の層が大半を占めるということでしょうね.

三井: この頃、パラドックスというと、何でも齧ってみる習性が身に付いてしまって.(笑)

池内: それは、ものすごく良いことです.

三井: 本屋で、『フレンチ・パラドックス』(榊原英資著、文芸春秋)という本を見つけたのですが、その中に、今のお話のようなことが書いてあったような気がします.

池内: 僕が読んだのは、『ベッドルームで群論を』(みすず書房)という翻訳本ですが、それに、そういうシミュレーションをしたというのが出ていました.

I: 近頃、お医者さん達が、よくエビデンスベースということをおっしゃいます.では、彼らは、今までエビデンスベースでやってこなかったのか.私としては、もっと実証的なデータに基づいた治療をしなければいけないと言っているだけだと思いますが、「嘘も方便」かもしれません.

レトリックを辞書で調べてみたら、修辞法と弁論法という言葉がありました.弁論法の反対は弁証法ですが、レトリックのパラドックスというのは、「嘘も方便」と同じことでしょうか.

三井: 言葉の綾ということと同じなのではありませんか.

池内: レトリックですね.

三井: 目的をもって、相手を丸め込もうとするようなお話ですよね.そこまでひどくはないかもしれませんが.

I: 方便というのは、仏教用語の中では、人を正しい道に導くための、その人に対応した対症療法のようなことで、決して悪い意味ではありません.

三井: 方便には嘘以外のものもあるのですか.

I: それは、真実を語って導くのが一番良いのです.

池内: 「嘘も方便」は、パラドックスではないような気がします.使い様だということでしょうね.

A: 「相手を見て、法を説け」ということでしょうか.

三井: 「人を見て、法を説け」ですね.それはパラドックスでもレトリックでもありませんね.

I: レトリックは、元々は世の中のためになるものでしょう.

池内: 「鯛の尻尾より鰯の頭」というのはどうですか.

三井: 「鶏頭となるも牛後となるなかれ」と同じですね.

池内: 「生きている鰯か、死んでいる鯛か」というのもあります.

三井: 「腐っても鯛」ですか.英語のことわざで、「薮の中の二羽より、手の中の一羽」というのがありますね.

ところで、先程ご紹介のあったアンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』ですが、いろいろな人が勝手に編纂していますし、さらにそれを日本人がいじり回しているものですから、どれを買えばよいのか迷っていたのですけれど、最近、『新編、悪魔の辞典』というのが岩波文庫から出ましたので、それにしました.

池内: それは、抜粋ですね.

三井: 『悪魔の辞典』は、最初に500項目、後から500項目くらいができて、全部で1000項目くらいあるそうですが、私が買った本は、500項目くらいしかありません.

池内: 本当にえげつなくて面白いところは落としていると思います(笑).比べてみると面白いですよ.

三井: この本にも出ていて、『パラドックスの悪魔』にも出ているのですが、池内さんが紹介なさらなかった「食用になる」という項目があります.「たとえば、ヒキガエルにとっては蛆虫が、蛇にとってはヒキガエルが、豚にとっては蛇が、人間にとっては豚が、蛆虫にとっては人間が、それぞれそうであるように、食べるに適し、かつ消化すれば健康増進させる.」

これがパラドックスだというのです.皆さんは食物連鎖の話だとお思いになるかもしれませんが、池内さんは、最後の蛆虫が人間を食べるというところでパラドックスになると述べていらっしゃいます.最初は人間中心に考えていたわけですね.人間が食べるものでお終いになっていればよいのに、人間を食べるものまで出したのがパラドックスであると.先程、人間が人間を考えるのがパラドックスだとおっしゃいましたが、それと同じようなことでしょうか.脳の研究者について、自分の脳が自分の脳を研究するとはどういうことだというのと少し似ているのかなと思ったのですが.


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Last modified 2011.03.22 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.