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講師: 織田孝幸(おだ・たかゆき)、川原秀城(かわはら・ひでき)
日時: 2006年6月29日 |
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数学カフェ 「東アジアの数学」 |
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>>> 日本語というのは、基本的に十進法だと思っていますが、英語だと12進法の要素が入っていたりしますね。
そうしたことは、数学の発展において、何か影響があったのでしょうか。
川原: おそらくあっただろうと思います。指が十本ある人間にとって、十進法は非常に合理的なシステムです。
そういうシステムが存在したおかげで、分かりやすい体系になって、数学好きをつくるもとになったのだろうと思います。
ただし、「ややこしかったが故に数学的センスを磨いた」という、逆の言い方もできます。今の場合は、「やさしかったが故に・・・」というほうの説明です。
三井: 十二進法というのは、12という数が2でも3でも4でも6でも割ることができて、便利だからだと聞いたことがあります。
>>> 十二進法は羊の数を数えるのに都合が良いそうです。[片手を上げて](親指以外の)4本の指を使います。
それぞれの指には、3つの指節(指の関節から関節の間)がありますから、4本の指全ての指節の数は12になります。
人差し指の先端の節(末節)が1、真ん中の節(中節)が2、根元の節(基節)が3、中指の末節が4というふうに数えます。
[親指で、それぞれの指節を押さえながら]
>>> マヤの数学が二十進法だと聞いたことがあります。
織田: 小学校の算数だと、十進法は一番無理がなくてよい。フランス語は言語の関係で非常に複雑になり、
小学校レベルの教育の障害になっているという話を聞いたことがあります。ただし、世の中で十進法にしてはいけないものがあります。時間です。
フランス革命のときに、全てを合理的にしようとして、1日10時間という時計が作られました。革命政府が命令したものです。
しかし、革命が終ったら、たちまち元に戻りました。その時計はどこかの博物館に残っておりますが、やはり、
日の出や日の入りは6時でないとどうしようもないですね。バビロニアでは、1年が360日で、残り5日間はお祭りにしたという話ですけど。
中国の殷の時代では、十干十二支で日を数えて、60日で一周期というふうになっていたと思います。
>>> 最後に和算の総括を聞かせて頂きたいと思います。和算というのは何だったのかというのが私の問いです。
たとえば、西洋医学に対して、漢方という概念がある。西洋医学はものごとをバラバラに切り分けていって原因を探求するというアプローチをとり、
漢方は生物の身体を総合的に捉えて、マクロ的な視点でアプローチする。明治政府は西洋医学を取り入れたけれど、結果的には、それだけでは不十分で、
最近は、漢方的なアプローチが、ある側面では正しいということが認められていると思います。実際に、アメリカの医学部では、
漢方的なことを一生懸命教えている。では、和算と洋算にも、何かアンチテーゼ的なコンセプチュアルな違いはあったのか。
それとも、単にレプレゼンテーションだけが違っていて、それを統一してしまえば、コンセプチュアルには統合されるべき運命にあるものだったのか。
どうなんでしょう。
川原: 数学というのは、国や民族を超えた共通の概念や思考というものに関係する学問だろうと思います。
和算というのは、洋算に対して出てきた概念です。違いは、縦書きの記号法と横書きの記号法。記号法は違っても、実は同じようなことを論じていた。
和算は漢字を使いました。漢字には1つ1つ、意味がありますから、どうしても完全に抽象化できない。
抽象化の徹底において、ヨーロッパに負けてしまったゆえんです。従って、和算は、明治政府が云々しないで、あのまま発展していっても、
たぶん未来はなかっただろうと思っています。
織田: 私は、数学者の立場から、はっきりしたお答えをしたいと思います。数学は、どんな形であっても、
一つしかないと思っています。ですから、和算と言われるものであれ、洋算と言われるものであれ、書き方が違うだけだと思います。
ただ、幕末から明治の始めに、和算家が自分達のほうがレベルが上だと思っていた理由は、明治政府が採り入れた洋算というのは、
海軍の兵学校で教えるような数学だったからです。関孝和と同じレベルの数学が、最初から入ってきたわけではない。
ベルヌーイやオイラーの数学は、明治の始めには入って来ておりません。では、和算家がやっていたことは価値がないのか。
それは、我々の血の中に、知的伝統として生きていると思います。
学校制度が変わったとき、実は、寺子屋の先生は最初の校長先生になったんです。当時、校長先生を"訓導"と言っていました。
私の郷里にも寺子屋がありました。最初の訓導が堺さんといって、天保年間から寺子屋の先生をしていた方でした。
伝統は全てカットされたわけではなくて、繋がっております。明治の始めに和算家の手ほどきを受けて、近代的な数学者になった人もあります。
ですから、そんなに違っていたわけではないと思います。
>>> 最近、会社の同僚が、アメリカにおける数学研究の動向調査に行ったのですが、
アメリカで数学をやっている人の多くはインド人や中国人で、アメリカ人はあまり数学に興味はないんじゃないかと言うのです。
それでも、国家としては繁栄しているので、数学は国家の繁栄にそれ程影響しないのかなと思ったのですが、それについてどうお考えですか。
川原: 私達の世代というのは、科学の言葉は数だと信じており、そういう訓練を受けてきて、
数理科学こそが科学のモデルだという感覚で、モノの感じ方を作り上げてきました。ところが、21世紀に入りますと、どうも生物のほうが学問の中心で、
DNAが何のかんのと言っている。こういう時代になってくると、モノの感じ方も変わるわけで、ひょっとしたら、今のご指摘は当たっているかもしれません。
織田: 東大の非常に良くできる助教授が、ホームページで、
自分は数学ができなかったから生物学に進んだと広言しておられます。
私は言いたいんですけど、その人は数学もできたらきっと、もっと素晴らしいことができる(笑)。
生物学でも、数学は使います。たとえば、細胞の穴を水の分子が通って行くシミュレーションをやっている方がいます。
タンパク質の構造も、結晶化すると、X線のようなもので分かりますが、それだと静止しているものしか分からない。
今は、動いているところを直接見る方法がないので、シミュレーションという方法で、難しい数学を使ってやるわけです。
三井: これで、お終いにします。皆さん、今日はありがとうございました。
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