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第8回レポート
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第8回リーフレット

第8回 カフェ・デ・サイエンス


講師: 織田孝幸(おだ・たかゆき)、川原秀城(かわはら・ひでき)
日時: 2006年6月29日



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織田: 難しさで言うと、中学校くらいのレベルですか。

川原: 中学高校レベルだと思いますが、中には難しいものもあります。天元術というのは、 当時にあっては非常に難しい数学だったのですが、中国には同時進行的に、実用性を重んずる別のタイプの数学の流れも存在していました。 この流れから、元の中頃と言われていますが、ソロバンが発明されました。ソロバンは、上の玉が5、下の玉が1を示していますが、 これは算木の並べ方そのものです。僕が小さい頃は、コンピュータよりもソロバンのほうが速いなどとと豪語する時代でしたが、覚えていらっしゃいますよね。

織田: 電卓とソロバンで競争するというのがありましたね。

川原: 今頃、そんなことを言う人はいないと思いますが、その頃の中国では、ソロバンでの計算は非常に速いということで、 すごい勢いで普及していきました。その結果、算木を使って計算する数学が滅びてしまいました。 そんなところへ、イエズス会の宣教師を介してヨーロッパの数学が入ってきます。このあたりから、だんだん話がややこしくなっていくわけです。 そして、日本人の我々としては悲しい話が、そこに付きまとってきます。

朝鮮朝の数学のシステムはどうだったか。最初は唐代のシステムがずっと続いてきたのですが、李朝(李氏朝鮮)の初期に、天元術を中心とした数学が入ってきた。 朝鮮王朝というのは、時期的にいえば、中国の明、清にあたっております。朝鮮王朝は明の始めの頃のシステムを手本にして、数学の教育システムが作り上げました。 明の始め頃はソロバンがかなり普及していましたが、まだ完全に算木の数学を排除していない段階でしたので、 朝鮮朝には天元術を中心とした数学のシステムが根付いていったわけです。朝鮮朝は、日本が植民地化するまで、算木の数学のみで、 ソロバンの数学は入っていません。入っていないというより、排除していました。

これに対して、日本では、信長・秀吉の頃に、ソロバンの数学が中国から入ってくるとほぼ時を同じくして、秀吉の朝鮮侵略のときの戦利品として、 天元術の数学書が入ってきました。

織田: 儒教の学者も拉致してきたんですよね。

川原: はい。日本の儒教というのは、朝鮮儒教の流れです。人間は拉致、本は略奪……。 その本は『算学啓蒙』といいます。宋元数学を代表する本ですが、秀吉が朝鮮侵略した頃の中国では既に亡失していました。 ソロバンが全盛になっていたからです。こうして、天元術が日本に入ってきました。そして、その天元術の略語代数を記号代数のレベルにまで高めたのが、 日本の和算です。数字の部分を漢字で書き、今の数式の a、b を"甲"や"乙"と書いて記号化しました。 和算は記号代数になって、微積分のレベルあたりまで、一挙にレベルアップしました。本当にすごいレベルです。 天才、"関孝和"の名前は覚えておいてもよかろうと思います。

朝鮮数学のほうは、その後、中国の影響を受けながら、一定程度の進歩をしましたが、結実をみぬまま、日本統治の時代になるわけです。

本場の中国では、マテオ・リッチ(Matteo Ricci)を中心としたイエズス会の宣教師が持ってきたヨーロッパの数学が入ってきて、 少し様相を変えるようになりました。

織田: 東大の先生は、質問をしないと、何時間でも話してしまいますから、ここらで止めないと。(笑)

三井: ありがとうございました。今のお話の中に、いろいろな問題がたくさんあったと思いますが、 私は、和算というのは実用的なものだと思っていました。鶴亀算というのは、和算の代表みたいな気がしますね。 ところが、関孝和は、微分や積分などの非常に高等なことをやっていた。やはり、和算には二筋あるというふうに考えるんでしょうか。 発生的には、数学は実用的なものだと思うのですが。それに、漢字で微積分をやるというイメージが掴めません。

川原: 鶴亀算のようなものが和算の代表みたいになっていますが、これには、いろいろな理由があると思います。 ただ、内容的には、そういうものは全て、『九章算術』くらいのレベルです。和算の中にそういうものが入っている理由ですが、 実は、和算というのは、中国や朝鮮における勉強の仕方と少し性格が違っているように思われます。このへんは、私の専門から少し遠いので、 他人の研究を利用することになりますが、和算というのは、今日のお茶とかお花とかの芸事と少し似ているところがありまして、 良く言えば、芸術至上主義みたいな雰囲気で、別にそれで儲けようという気もない。それで何かしようとする気もない。殿様から農民まで、 好きな人がやっていた。そうすると、家元さんは生活できませんね。そこで、免状を出すわけです。

織田: 僕は思うんですけど、彼らには、問題を解く暇があったんじゃないかな(笑)。時間が無いと、できないでしょう。 関さんの職業は、綱吉の時代の勘定吟味役ですね。勤務時間はどれくらいですかね。午後2時くらいには帰ってこれたんでしょう。その後は夕暮れまで暇ですよね。

>>>  中国で始まった数学とインド数学との交流はあったのですか。それと、中国の数学に"ゼロ"の概念はあったのでしょうか。

川原: インドとの交流というのは、普通、中国文化の中では、仏教の影響というかたちで話されます。 本当は、インド文化の影響と考えるべきですが、後漢の頃から唐くらいまで、インドからいろいろな文化が入ってきました。 その中に、科学のことや数学のことも含まれていました。仏教が中国において広まったことを考えると、かなりの影響があったと言うことができるかもしれません。 ただ、具体的な影響は何かということになると、(中華文明には外来文化を排除するベクトルも厳存しており)大したことはなかったと言うこともできますから、 矛盾する二つの言い方ができるわけです。

また、「ゼロの発見がインドでなされて、それが世界に云々侃々」というのは、ヨーロッパ数学を前提にしているがゆえの命題・発言であって、 東アジアの数学を中心に考えると、納得するようなしないような命題です。中国では、算木を並べるとき、ゼロは空けておりました。 今日の我々と同じように、数字だけを並べて、位取りを入れて読んでいました。そうした今日の我々の感覚は、 今から二千年以上前の非常に早い時期に既に成立しています。それを紙に写すときは、「何万何千何百何十何」と書いたり、仏典などでも分かるように、 「五万一」と書いて、五万一千(51000)を意味することもありました。これを「五万と一」と訳している邦訳もあるんですが、漢文屋から言うと、 ちょっと恥ずかしい。今、「五万とんで一」というときは、間に"零"と入れたり、四角を入れたりと、いろいろしますが、 この"□(四角)"を簡単に描けば、"○(まる)"ですよね。中国の学者のなかに、"零の発見"は中国のほうが早かったと言う人もいます。 その発言自体には、何の意味もないですが……。影響関係の問題ですから。しかし、かなり早くからあったことも事実だろうと思います。

織田: 漢字文化圏では、ずっと前から、十進法が確立していたんですか。

川原: 大進法、中進法、小進法といろいろありますが、十進法であることは同じです。「千、万、十万、百万」という、 我々が使っているものと同じものもありますし、「千、万、億」といって、億が十万を意味する十進法もありました。いろんなタイプのものが考案されましたが、 非常に早い時期から、十進法が確立しておりました。甲骨文字で書かれたものも十進法になっております。

>>>  中国の歴史の中で、元というのは、漢民族が支配された異常な時代ですよね。文化的にも、 アラビアなどの文明のほうが優勢になったわけで、その頃に数学が変わったということは、アラビア数学などが影響したからだというふうに考えてもいいのですか。

川原:  元の社会において、漢民族(漢人)は社会的地位が一番下でした。従って、彼らは不遇な生活を送っておりました。 人間、不遇な目に遭うと、エネルギーが湧く人もいるようでして、天元術は、華北のほうの山の中に籠って勉強していたような人が考え出したと推定されています。 従って、中国数学史の中では、天元術の場合、外来の影響ということは考えられておりません。

>>>  華北のほうに住んでいた人は漢民族ではなかったんじゃないですか。 中国の北のほうから攻めてきた人達が上層階級に居たでしょうから。アラビア数学の影響については、何か研究されているのですか。

川原: 天元術というのは、非常に程度が高くて、できる人は少ないものですから、 どういうふうに発見されたかというのは、いろいろな書物の序の部分に、誰それの影響を受けて云々と、正確に書かれています。 そういう箇所を読んでみても、そうした外来の影響については、今のところ、全く見つかっておりません。 天文学においては、アラビアの影響というのは確かにありまして、そのことは正確に調べられております。 しかし、宋元数学については、中国独自の発展と言われています。


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