赤崎 勇 |
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司会(垂井):
赤崎先生どうも有難うございました。ではこれより質疑応答に入りたいと思います。質問があります方はマイクをお廻ししますので、挙手をお願いいたします。そちらへマイクをお願いします。
質問1:
本日はご受賞、おめでとうございます。赤崎先生のように20年とか、あるいは20年以上の長いスパンにわたってこの道一筋と申しますかそういった研究ができれば、日本もこれからユニークな研究が続々出てくるのではないかと思うのですが、20年以上をうまくやってこられたというような、秘訣というようなものございましたら、これから若い方が先生のようなユニークな世界に誇るような研究をするのに参考になると思いますので、そういった点をお教え頂ければと思います。
赤崎:
前半については、どうもありがとうございます。ご質問は、私がうまくやった秘訣は何か、といったことだろうと思いますが、そちらにお配りした物(プロシーディングス)にも書かせて頂いたんですが、むしろずっと愚直にやって来たというのが、偽らざる心境です。ただ、ある方が書いておられますが、また先ほどちょっと申しましたように、名古屋大学に移った頃は、私のところにほとんどなんにも、装置もなくて、がらがらでした。当時名古屋大学はもちろんですが、大学にクリーンルームのあるところはほとんどなく、私が夢を実現するのにこれこれの研究をやるのだと説明しましたところ、電気系の教室の先生方が総意でそれをサポートしてくださいました。これは大変大きなことだったと思います。ただ実際のことは自分でやらなければならなかったのです。クリーンルームについては私以外に経験者が全くいませんので、建物の寸法や天井の高さなどもいちいち決めましたが、いろんな制約があり、理解を得るため何回足を運んだかわからないぐらいです。実は、松下電器から名古屋大学に移るまで、二年半くらいの間、しょっちゅう東京と名古屋との間を往復しながらそういうことをやっていました。もう一つは、これも先ほどお話しましたが、いろんな財団からの補助金、あるいは文部省から科研費を頂きました。しかしどなたかが、このことは書いておられますが、当時窒化物半導体で提案書を書いても全然通らなかったのです。これは良いことかどうかわかりませんが、私はメインの仕事は右高先生もご存知のようにGaAsやアルミニウムガリウムアーセナイドとか、U-Yの混晶だとかそういうのをやっていましたので、そちらの方で主に提案書を書き、そちらでもらった研究費の一部をこの窒化物の研究に充てていたというのが実情です。これが悪いことかなと思っていたのですが、実はある外国の有名な方で、最近この類いの大きな賞を受賞された方が、そういうことはやむを得ないことだと、要するに研究の初期というのは中々認めてもらえないことがあるので、うまく融通していかないと駄目なんだということをおっしゃっておられました。提案書を書きながらちょっとそういう忸怩たるものがあったんですが、現実にはそういうこともやってまいりました。
質問1:
ありがとうございました。そういった先生の秘策を公開して頂きまして、多分これから皆様が頑張って先生のような立派な成果をあげられまして、今後出てくるだろうと思います。
赤崎:
筑波大学の長谷川先生が今日お見えになっているかどうかわかりませんが、何かの文章に先ほど申し上げたことを書かれたような気がします。
司会(垂井):
その他のご質問どうぞ。
質問2:
この度はご受賞おめでとうございます。まさに20世紀最後の著しいイノベーションというのは、赤崎先生の20年以上に及ぶ臥薪嘗胆の上に成り立っていると言うことを聞いて本当に感動したんですけれども、しかし近年になりまして、いわばイノベーションのモデルが少し変ってきて、すごくサイクルが早くなってきて、そうなってきますと企業の経営者というのは、慌てふためいて、何とかやり方を変えたいというふうに思っていると思うんです。そうなってきますと、やはりこういう息の長い研究というのはこれからやりにくくなると思うのですけれども、これからですね、企業の、特に多分会場にいらっしゃる企業の研究者に向けて、何か新しいイノベーションモデルに対して、何かご助言を頂ければと思います。
赤崎:
私は松下時代からよく言っていたことですが、いつも二つくらいのテーマを考えています。一つですと、例えばこの問題でも時々行き詰まることがあるのです。そういった時に二つか三つくらいのものを持っていて、これを止めるわけではないのですが、ある時は気分を変えるのに他の実験をやってみると、そちらから本道の方にヒント得ることもたくさんございます。それで、息の長い研究ということですが、私は1960年代の終わり頃は、本当にこれはできるかどうかわからないと思った頃もありました。しかしこれは一生かけてできなければできなくてもいい、という気分でその頃はやっておりました。ですが松下で先ほどの仕事をやったあと、みんなが協力してある結果を出したときに、これは勘としかいいようがないのですが、確信したわけです。それからは随分こちらのほうに楔型にずっとこの仕事を増やしていったのです。そういうことも実際には必要かな、という気がします。
司会(垂井):
時間がきておりますが、もう一つございましたら、あそこの方。
質問3:
この度は受賞おめでとうございます。赤崎先生は長く、同じ研究を続けておられて、羨ましく思いました。二つお聞きしたいことがあるのですが、一つは先生のやり方をこれからの科学行政の方にうまく生かすすべはないのでしょうか。もう一つはこれからこの分野のナイトライド系の材料研究というのも、ますます盛んにやっていかれると思うのですけれども、今後はどういうふうな方面が注目すべきなのか、あるいは面白いのか、その辺をお聞かせ頂きたいと思います。
赤崎:
まず最初の方ですが、私は行政的なことはあまりよくわかりませんので、お答えできないことをお許し下さい。私の場合で先ほど長くやれて羨ましかったということをおっしゃいましたが、私の場合でいいますと、それはその時その時にいい仲間に恵まれたということだと思います。松下のときも私の周囲には大変よい仲間が集ってくれましたし、名古屋大学時代は今日の共同受賞者の天野君を始めとして非常にたくさんの学生さんが協力してくれました。それで途切れないで続けてこられたのだと思います。もう一つの問題ですが、これには二つあると思います。ある時点で先が見通せるものと、新しいものが出てきた時に思わぬ用途が開けるというということがよくございますね、一つ簡単な例はご存知かもしれませんが、以前松下電器でやっていたガスライターです。あれはもともと周波数のフィルターとして開発したものと聞きましたが、それが着火装置になり、それによってまた量が増えていって、品質も良くなって、また本業の方にもまたよい結果をもたらしたわけです。そういった二つの面があるのではないかと思います。ナイトライドで当面考えられる面白いのは、いくつかございますが、もっと壮大な夢は、例えば、今はGaN系だけに限ってお話をしていますが、これを他の材料系と組み合わせることで、それぞれの特徴を生かした新しいデバイスの可能性があるのではないかと思います。私はそういうものも十分期待できると思っております。これでお答えになっているか、わかりませんが。
司会(垂井):
まだご質問あるかと思いますが、時間がちょっとオーバーしておりますので、これでご質疑を終わらせて頂きたいと思います。どうも赤崎先生ありがとうございました。
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