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第20回レポート
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第20回リーフレット

第20回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  長谷川眞理子(はせがわ・まりこ)
日時:  2008年7月28日



異端児のみる生命 「雄と雌をめぐる謎」 BACK NEXT

三井:たくさんのご本の中から、2冊だけ、ここに持ってきました。一つは、講談社現代新書の『オスとメス・性の不思議』です。皆さんが参加申込みのときにお書きになった質問の答えが、ほとんどここにあるように思います。もう一つは、集英社新書の『生き物をめぐる4つの「なぜ」』で、研究の方法にウエイトが置かれているような気がします。その他に、長谷川さんご自身がお薦めのものはありますか。

長谷川: 紀伊国屋書店から出ている『クジャクの雄はなぜ美しい?』という本の増補改訂版を作ったときに、最後の章の末尾に、「雄と雌があって、美しくて哀しくて、生きていることは素晴らしい」というようなことを書いて、この本には非常に思い入れがあるのですが、紀伊国屋では全く売れないので(笑)、紹介しておきたいと思います。

三井:その本には、クジャクの雌が選ぶのは雄の鳴き声だという話は入っているのですか。

長谷川:最初に出版した『クジャクの雄はなぜ美しい?』には(1992年)、クジャクの雌が選ぶのは雄の羽の目玉模様の数だというのを、イギリスの研究者が見つけたという話を書いたのですが、私達は追認できなかったので、そこを取り除きました。また、シギは白いほど良いという研究についても間違いだったということが分かったので、それも全部除きました。2005年の改訂版では随分変えましたが、その頃は、私のところの院生がまだ論文を書いていなかったので、本には、声のことを少ししか書いていませんが、目玉模様の数ではないというのは書きました。

大島:長谷川先生は、ご経歴からもお分かりのように、実際に生物を見て研究をされています。私のほうは、分子のほうから生き物を見ているものですから、同じタイプの話をするとき、生物の研究者は生物の美しい写真をたくさんお見せになるから、とても太刀打ちできないのですが、カフェ・デ・サイエンスではスライドを使ってはいかんということになっているので助かっています(笑)。

分子のほうから見る立場で言うと、生物というのは、遺伝子のシャッフリング機構がないと、つまり、遺伝子を混ぜ合わせる機構がないと、生存に不利な変異が蓄積するので、種は維持できないということになっています。だから、今生き残っているのは、シャッフリング機構をもった生き物だけということになりますが、もちろん出鱈目のシャッフリングではいけません。別の種と自由に混ぜ合わせると、種そのものが存在しなくなりますので、同種間のシャッフリングを盛んにするような仕組みである必要があります。そうすると、性の起源というのは、生命そのものが始まったときから、もう少し厳密に言うと、現在のような遺伝子の機構が成立したときからと言えるかもしれません。

それから、普通の意味での性の起源は、細胞の分業です。つまり、性を司る細胞と、それを支える細胞(体細胞)ができたということです。ところが、人間の場合には、性細胞より体細胞のほうが大事になってしまった。極端なことを言うと、乳がんや前立腺がんの手術で、性に関わる器官を除去しても生きられるというのは、完全な逆転が起こったと私は見ています。それが人間の性を考えるときの大きな要素になっていると思います。

私自身は、このような立場で「性」を見ているわけですが、今日の主役は長谷川先生ですから、私は、長谷川先生の話を楽しもうと思って来ましたし、私のほうからも、是非、質問させて頂きたいと思っています。

今日のテーマでは、私も、ヒトのほうに関心があります。参加者のコメントの中に、「子供の頃は、異性は敵だった」というのがありましたが、私は、それを見て、非常にショックを覚えました。私にとっては、今も異性は敵ですから、まだ子供なのかと(笑)。

また、男女の感受性の違いについてのコメントもありましたが、例えば、車を運転しているときに雨が降り出しても、男はなかなかワイパーを動かしませんね。水滴より、ワイパーが動くほうが、よっぽど邪魔なんです。ところが、女性のほうは水滴が邪魔なようで、必ず助手席からワイパーのスイッチを入れるものですから、こういうときには必ず喧嘩になります(笑)。

三井:遺伝子を混ぜ合わせるという言い方は目的論的になりますが、そういうことが起こったのが性の起源だということで、多くの人が納得しているのでしょうか。

長谷川:混ぜ合わせるということが、初めは間違いから起こってもいいし、取り込んだ細胞の遺伝子が完全に消化されずに残ったというのでもかまいませんが、とにかく、異なる遺伝子セットが共存するということが起こって、自分のコピーだけを残していくものとは違う系統が出てきた。すると、それが途端に有利になったということだと思います。コピーするだけでは、コピー間違いが蓄積していく一方ですが、他の遺伝子の一部を取り込んだものは、それで代用することができます。しかし、そういう目的で始めたわけではありませんし、それがどういう理由で始まるかについていろいろなシナリオがあると思います。

三井:単細胞のままではできませんね。

大島:単細胞は一つの細胞で全部のことをやっていますから、ヒトの性みたいなものは、先程言いましたように、細胞が分業を始めないとできません。何を基準とするかによって性の起源は違うと思いますが、それが混ぜ合わせの機構ということであれば、生命の起源が性の起源になりますね。

それから、性を専門に司る細胞の起源の一つは細胞の中に核をもつ真核細胞です。一番下等な微生物のような細胞(原核細胞)は、遺伝子のセットが細胞の中で塊になっているだけで、核というきちんとした袋の中に入っていません。それがひとたび袋の中に入ってしまうと、分裂して二つの細胞に分かれようとするときに、細胞そのものの分裂に先だって、遺伝子のセットを分けなければいけないのですが、袋に入っているために、複雑な手続きを踏まないとできません(有糸分裂)。こうした有糸分裂の機構が先にできていないと、減数分裂はあり得ませんから、性細胞もできません。つまり、生命の歴史の中で細胞の中に核を持つようになったことは、性の成立にまで繋がる非常に大事な出来事だったということです。

それがいつ起こったかということは、正確には分かっていませんが、大雑把な生命の歴史で考えますと、最初の生命が生まれたのは35億年から40億年前、真核細胞が出てきたのは20億年から30億年くらい前ですから、核をもつ細胞は生命が生まれてから比較的早い時期に生まれています。しかし、性細胞が出てくるには多細胞生物にならないといけませんが、多細胞生物が出てきたのは、一番古くをとっても約10億年前ですから、雄と雌がいたのは、生命全体の歴史の中で、最近の精々20ー25%の時間だけだと思います。

(減数分裂:真核細胞では、染色体は2本ずつ対になって存在する。通常の分裂(有子分裂)では、それぞれの娘細胞も対となった染色体を持つのに対し、対を作らず、染色体数が半分の細胞を生じる分裂を減数分裂という。生殖細胞は減数分裂により作られるので、卵細胞が精子細胞と融合すると染色体は2本ずつの対となり、通常の細胞と同じ染色体数を持つことになる。)

三井:ところで、雄と雌の決定的な違いというのは何でしょうか。

長谷川:有性生殖をする普通の生き物を考えたときに、配偶子(次世代を作る細胞)の大きさの違いが顕著な場合、小さな配偶子を生産する個体を雄と呼び、大きな配偶子を生産する個体を雌と呼びます。小さな配偶子は精子、大きな配偶子は卵ですね。今でも、藻類の一部に、同じくらいの大きさの配偶子をもっている生き物はいるのですが、主流ではありません。どうも、体の外に出た配偶子同士が出会って次の世代を作るということが始まると、急速に差ができるようになるようです。つまり、小さいほうと大きいほうに分かれて、小さいほうはとにかく速く走って相手を見つけるようになり、大きいほうは栄養を提供するようになります。そこが雄と雌の定義であり、起源です。

三井:プラナリアのように雌雄同体の場合は?

長谷川:雌雄同体の場合は、雄や雌とは呼びませんが、体の中に雄の器官と雌の器官を両方もっているという言い方になりますね。

A:生命現象が始まってから、そのまま何十億年も生き続けるというパターンも考えられると思いますが、そうならずに、生殖という段階を繰り返すようになったわけですね。そこに性の本質が潜んでいる気もします。ところで、無性生殖で1個の細胞が2個の細胞に分裂していく場合、どちらが新しいほうで、どちらが古いほうなのでしょうか。

大島:微生物は、高等生物の場合と違って、分裂したものは両方とも娘細胞です。親はありません。

長谷川:単細胞が完全に二つに割れると、両方が新世代になって、旧世代はありません。だから、死という決定的なものもありません。どこかに必ず片割れが残っているわけですから。個体の死がはっきりと出てくるのは、有性生殖が始まってからです。

先程、個体が永続して生きてもいいのではないかと仰いましたが、何度も繰り返して生命をつくるほうが、結局は現在まで長続きしています。それは、コールのパラドックス(Cole's Paradox)といわれています。(コールは、簡単なモデルを使って、一生の間に1回だけ出産するほうが、1回以上出産するよりも有利な繁殖戦略であるという結論を導き出した。しかし実際には、1回以上出産する生物種のほうが多い。)

体細胞を担っている遺伝子の生存時間が長くなれば長くなるほど、突然変異が蓄積していってガタがきますから、そういう個体は、どこかで丸ごと捨ててしまって、新たに突然変異が溜まっていない細胞からもう一度やり直したほうが、結局は良いわけですね。これが有性生殖の始まりであり、死というものの始まりです。


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Last modified 2008.10.14 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.