畚野信義 |
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[図 8]
[図 9]
[図 10]
[図 11]
[図 12]
[図 13]
[図 14]
[図 15]
[図 16]
[図 17]
[図 18]
[図 19]
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[図 8]
こういう仕組みの非常に小さいのが起こってチョロチョロ動き回るのが台風です。こういうものの一つで有名なのがエルニーニョで、西太平洋で雨が降って大気がこういうふうに循環しますと、太平洋の赤道地帯で東のほうから西のほうへ貿易風という形で風が吹きます。この風は太平洋の上の温かい水を西の方へ吹き寄せるわけです。それで南アメリカの海岸に下から冷たい水が上がってくる。その水は栄養に富んでいて魚がいっぱいここで湧きます。アンチョビという魚が、なにかの理由でこの雨の領域が東のほうへ動くと、そういうことが起こらなくなって温かい水が西へ吹き寄せられなくなる、したがって冷たい水も上がってこなくなり、魚がいなくなるというのがエルニーニョでした。それが最近、ご承知のように世界中の気候異常を起こすことがわかったわけです。この雨の地域がどうして東の方に移るのかというのはよく分かっていなくて東南アジアのモンスーンの影響だとか、さらにはヒマラヤの気象の影響だとかいろいろ言われているのですが、こういうことが、グローバルに熱帯地方の雨を観測することでわかるのではないかと、計画を始めることになったわけです。
[図 9]
そこでまず、我々が進めてきました熱帯降雨観測衛星の開発の、今日にいたる歴史を少し話したいと思います。まず我々がそういうことを始めようと決めたころが1970年代の半ばであったというか、そういうことをやるためにお金をとる努力を始めたのがそのくらいの年でありました。
[図 10]
最初は小さな飛行機にレーダを載っけて、2周波レーダ、これは後で岡本君が詳しく話してくれると思いますが、2周波の散乱計/放射計というのを作りましてこういう形で飛行機を飛ばして、飛行方向と直角にアンテナを振りまして三角錐の中のデータを全部採るということを始めました。実際の実験は1980年頃始めました[図9参照]。
[図 11] [図 12] [図 13]
こういう小さな飛行機で、これで7000 mくらい上がるわけですが、中は非常に狭くて腰をかがめて歩かなければならないような状況で、さらにアンテナから電波を下に出すのですが、飛行機の底に穴を開けるわけです。7000 mの高いところで外の空気がもろに入ってくるというか、非常に冷たいというだけではなくて酸素が足りない状態です。酸素マスクをつけて実験をやっていたのですが、実験に熱中して酸素マスクが外れたのに気が付かず失神しかけた人がいたような過酷な状態でした。
[図 14]
それで取りましたいくつかのデータをお見せすると、これは飛行機がこういうふうに飛んでいるわけですが、それに直交する垂直断面の雨です。
[図 15]
これも垂直断面ですが、飛行機がこういうふうに飛んでいる、進行方向に平行な垂直面の雨です。
[図 16]
さらにこれは違う高度の水平面の降雨ですが、これを見てわかりますように雨というのは決して一様に降っていませんし、むしろ場所によると下から上に降る場合もあるということです。
[図 17]
飛行機代が高いですから、そんなには飛行機を飛ばせられないので、同じレーダを使って地上においても、ずいぶん実験をやった。
[図 18]
さらに、以前に衛星通信の実験に使った地上のレーダがあるところの近くの上空を飛行機が飛んで、上と下と一緒に実験をして飛行機の搭載レーダのフィージビリティやデータの比較の実験などもやっています。
[図 19]
これはその時の雨雲の状態です。そういう実験をやっているときに、アメリカの方でもグローバルに雨を測ろうというプロジェクトがスタートしていたようでありまして、このあたりですね[図9参照]、1981年に我々が今のような実験の結果を発表しましたら、NASAから、NASAのDr.アトラスという人、これはアメリカでも、降雨レーダの草分けのような人ですが、一緒に実験しないかという提案をしてきました。まだ当時私たちの力はそこまでいってなかったのであまり取り合わなかったのですが、さらに83年頃になってやろうという話が再度あり、交渉を始めまして実際の実験は1985年から始まりました。
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