吉川先生講演
1.科学についての新しい社会契約
2.第二種基礎研究を含んだ本格研究による契約の履行
3.一般化製品
4.夢、悪夢、現実
5.科学的方法の非対称性
6.第二種基礎研究が重要
7.第二種基礎研究の論理的構造


武田計測先端知財団第一回座談会

「生活者にとっての価値を実現する研究開発」


日時: 平成15年8月5日 10:00〜13:00
会場: 武田計測先端知財団




吉川弘之先生(産業技術総合研究所理事長)
 
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[図 1]

[図 2]

[図 3]

[図 4]

[図 5]
1.科学についての新しい社会契約

(吉川)
 こういう機会を与えていただきまして、ありがとうございました。武田理事長をはじめ、財団の方々、大変独特な賞というものをおつくりいただきまして、私どもとしても大変心強く思っているわけであります。私は産業技術総合研究所(産総研)というところにおりまして、その研究所をどういうふうに運用していくのか、研究者たちは何をするべきなのかということを考えております。一方、私は長い間、設計学の研究をしていたので、そんなことを入れながら、こちらでやっていらっしゃるような具体的に科学的な知識というものが社会的な役に立つというプロセス、そこでいろいろな研究者、開発者が苦労しているわけですが、それを概観するようなお話ができればと思っております。
 話は飛ぶのですけれども、最近の科学の状況を見てみようと思います。(図1)科学に対する最近の投資は非常に増えています。それはやはり現代社会が、技術も含めた広い意味での科学的知識が必要であるということについて、科学者以外と科学者を含めて全体の合意ができているということです。その合意ができている状況というのはいったい何なのかというのを、こういう角度から見てみました。これは特に環境問題を採り上げています。私は、おそらく現在の人類にとっての大問題というのは、「持続可能な開発」という言葉に集約されていると思いますが、そういった言葉で象徴されることは、いったいどういう流れで現在具体化されているのかということです。これは国際会議の流れを追っております。国連のいわゆるストックホルム会議と呼ばれるものが1972年にございました。これが最初だと言われております。それを受けて、その間は省略しますけれども、87年にこういった本が出ます。ブルントランのつくった『我ら共通の未来』(原題Our Common Future )という本です。この本で、「持続可能な開発」という言葉が初めて言われましたが、あの訳はちょっと間違っています。その間違ったこともあって、やや誤解されているところがあります。「持続可能な開発」というのを経済的な発展だけを主体にして考えているところがあるのですが、実はそうではなくて、「持続可能な開発」というのは、いわゆる貧困地域を救うために、これは国連の長い間の非常に大きな目標だったのですが、それを救うために開発をすると、地球環境に負担を与えてしまいますから、これは矛盾だということをはっきり主張していたわけです。そういったことは、現在はようやく理解されてきています。これを受けて、同じ名前の国際会議が開かれました。この国連の委員会です。環境と開発に関する国連国際会議というのが開かれました。これがいわゆる地球サミットということで、リオデジャネイロで行われました。これは有名なことで、リオに各国の首脳等が集まった、そういう会議です。そういう国連の一連の流れがあります。
 そういう中で、一方、科学者というのは何をしてきたのでしょうか。科学者というのは、ここに書いてありませんけれども、実は温暖化問題などは、1800年代から温暖化問題は指摘していて、いろいろな警告を発していたのですが、それがなかなか信じてもらえませんでした。その話は、今日はしません。結果的にこういう国連の流れがあって、それを受けて、ICSU/ユネスコ、これもまた有名なブタペストの会議が1999年に行われました。これは世界科学会議と言われていて、科学者が主催した会議です。それを受けて、これは日本でインターアカデミーパネルだとか、また科学者の流れが、これを契機にずっと1つの立場で流れてきています。ご存知のように、昨年、WSSDという、リオ10と呼ばれる会議がヨハネスバーグで開かれました。この時は、この間の流れを検証するわけです。それを簡単に言うと、科学者と、国連というか社会の間にある種の対話が行われた、私はそういうふうにモデル化しているわけです。そういうかたちで見ると、いろいろなことが非常によくわかると思います。これが行われると同時に、同じ月のうちに、国際科学会議(ICSU)でも大改革をして、社会に対して科学というものを、どうやって役立たせるかというための組織替えをいたします。このようなかたちで、ある種の対話というのが行われていることは間違いありません。
 その対話、簡単に言えば、そのサスティナブル・ディベロップメントという概念が1972年に始まり、82年、92年がリオ会議ですけれども、10年ごとにそういうかたちで、流れてきています。(図2)要するに環境を維持しようとすると、フィージブルな解はこの線の下側にしかないですから、環境を維持しようとすると、開発を止めなければなりません。開発をあげようとすると、環境が悪くなります。科学技術によって、この線ををこうあげようと、こういうことをしたのです。ブルントランは、それは矛盾だということを言ったのですけれども、それを人類の知恵で解決しましょう、科学技術で解決できるという一種の期待を述べているわけです。
 その内容を、こういうふうにモデル化しております。(図3)「持続可能な開発」という概念を定義したのがブルントラン委員会でした。それを背景にして、ここでは地球温暖化や食糧問題等あらゆることが掲げられたのですが、環境と開発に関する国連会議(地球サミット)が発足しました。このアジェンダを読みますと、31章と35章というところに、科学技術によってこの問題をいかに解決するかがかなり詳細に書かれています。その書き方に問題があるのですけれども、科学者が書いたわけではありません。これは社会の側から科学への要請だと読むと読みやすいものです。それに対して、先ほどご紹介したブタペストの世界科学会議は、国際科学会議(ICSU)とユネスコが主催しました。そこでは宣言書を出しています。それは、科学というのが、人類の行動にとって必要な知識を生むためのものでなければならない、と述べています。この宣言は4つの章からなっています。知識のための科学、平和のための科学、開発のための科学、社会の中の社会のための科学、こういう宣言書を書いたのです。ICSUというのは、これを受けて、自らを改変しなければならないというミッションを受けます。それは言わば、科学から社会へ回答していると考えられます。92年にアジェンダ21を通じて社会から科学へ、ある意味では公にこういう要請がなされていたのです。それに対して、7年後の99年にそれが答えられたと、こういう構造を持っているのです。
 ですからここには科学についての新しい社会契約が存在したのです。(図4)このことを言っているのは私自身ではなくて、ルブチェンコという私の次にICSUの会長をやっている女性の科学者です。彼女がこういう論文を88年に出しています。まさにこれは科学についての新しい社会契約、彼女はこれに「?」を付けて、こういうのが出たのではないかという提案をしたのですが、こういう構造を私なりに書いてみると、まさにルブチェンコが言う契約というのは存在しているのだと証明されると言えます。図のような構造を持っているわけです。結局、社会契約ができたとすれば、科学者は契約を履行しなければいけない立場だと、われわれは考えなければいけません。やや現実的な話をしていますが、それは単なるメッセージのやりとりではなくて、実際に各先進諸国を見れば、いわゆる科学技術の基礎研究に対しては圧倒的に公的研究資金というのが投入されています。わが国ではこれがかなり突出した予算と言われるように、他の予算が緊縮している時も、これは特別な領域で、科学研究費、科学研究振興費とか、特別な予算になっています。そこは大きな1つの社会的なメッセージとして、メッセージが乗った研究資金というのが科学者コミュニティに流れています。ですから、契約を履行するということは、それに対して、科学者コミュニティが研究をし、研究成果を社会に戻さなければいけない、ということになります。研究成果という言葉は私、あまり好きではありません。研究成果というのは科学者自身のものですよね。「ああ、研究した、研究した」って言って、それをぽっとそこへ放り出しておきます。これではいけません。それを社会の誰が受けとめるかが大事です。受けとめるということは、お金とは関係ありませんけれども一種の市場のようなもの、受け手が存在するわけです。わたしは、それを一般化された製品と呼んでいますが、こういう構造を持っています。こういう構造を実現することが、今の科学技術研究に関する社会的な課題であると同時に、科学者というものが何を考えなければいけないかを示す基本的な構造になっているのではないかというわけです。
 わが国では、ご存知のように95年に科学技術基本法から第一次科学技術基本計画ができて、今は第二次基本計画の真只中にいるという構造になっています。(図5)われわれ科学者、研究している側は、当然第三次科学技術基本計画ができると思っています。が、果たしてそうかということは、さっきの契約の履行の程度というのを社会が判断して、もしその契約の履行者としての科学者がうまく履行していないとなれば、これは実現できないことになります。それはかなり現実的な問題です。第一次から第二次に移る時は闇雲に行こうとしていたのですけれども、第二次から第三次に移る時には、第一次、第二次の研究成果というものをできるだけ厳密に評価しようとしています。それはある意味では契約ですので意識的にこうなってきたと考えられるわけです。



 
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