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第19回レポート
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第19回リーフレット

第19回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  榊佳之(さかき・よしゆき)
日時:  2008年5月31日



異端児のみる生命 「生命の知・工学の知」 BACK NEXT

三井:では、後半を始めましょう.参加者の中に、「工学的に見て、理想的な構造や特性をおよそ把握したつもりである」と、事前のコメントに書かれ方がいらっしゃいますので、その方のご意見をお聞きしたいと思います.

A:効率という面では、今の工学的な機械はかなり良くなりましたが、それでも、「まだまだ」という状況です.最近、オリンピック選手の水着が問題になっていて、少し改良した水着で泳ぐと、コンマ何秒だか速くなったという話です.イルカなどは、長い時間、速く泳ぐことができますが、大したものは食べていないのに、そこまでの運動ができるというのは、工学的に考えると、大変効率が良いのではないかと思いますし、筋肉の働きにしても、いろいろな力を出す機械の効率は、遥かに低いという気がしています.こういう方向に攻めていけば、今の機械は良くなるという、いくつかの道筋はあります.理想に近づく課題は見えています.しかし、そのゴールは非常に遠いと思います.

大島:副題に「生命は理想的な機械か」と、文末に「か」を付けたのは、機械から生命を見ると、工学的には、あまり理想的ではないのではないかという気がしているからです.エネルギーの変換効率でいうと、我々が食べ物を食べてエネルギーを引き出す効率は40パーセント程度です.また、植物が光合成をするときの効率も40パーセントくらいです.太陽電池は、現在、既に、20パーセントの効率で電力を起こしていますから、大雑把に言えば、20も40も大して変わらないじゃないかと(笑).我々の技術は、略、生物並みに達したのではないかと思っているのですが、どうでしょうか.

A:ロボットが二足歩行するときの動きを見ていると、人間の筋肉というのは、軽くて、大きな力を継続して出しているなと思います.人型のロボットで最も困っているのは、駆動エネルギーで、蓄電池を背負わせていますが、それが非常に重い.しかも20分か30分動くと、もう充電しなければいけない.ところが、人間は、一日3回、少し食べれば、一日中歩き回っています.生物のエネルギー変換効率が40パーセントとすれば、人型ロボットのそれは、一桁、あるいは、もっと下かもしれません.

榊:エネルギー変換効率のような特定のプロセスに限定すれば、今のエンジニアリングで、はるかに効率の良い機械を生み出せると思っています.但し、システム全体として考えたときには、生物は、可塑性というか、柔軟性というか、周囲の環境に対応することができます.これは、機械が絶対にできないところです.そもそも、人間を真似たロボットを作る必要があるのかという議論もありますが・・・.

A:機械というのは、最初から、可塑性を放棄しているのです.

榊:だから、正確さとか効率といったことに絞っているわけですよね.

三井:事前のコメントに、「生物のもつ不完全さが、むしろ、有利な点ではないか」と書いておられた方があります.

B:コンピュータのチップを設計するときに、新しい概念として、複雑系を予め組み込んでおくという話を聞いたことがあります.そうなると、機械と生命が少し近づいてくるのではないでしょうか.

三井:榊さんと大島さんのお話には、「生命を作りたい」という共通点がありましたね.その辺のところにお話をもっていってはどうでしょうか.『人を助けるへんな細菌すごい細菌』という本によれば、工学的な手法で既存の生物がもっている特定の力を伸ばそうという考えもあるようです.

榊:私の立場は、それに近いと思います.全ての原理を解いてから、物理化学の方式に戻して、装置やシステムを作るというのもあり得ると思いますが、全てが分からなくても、特定の機能だけをより効率的なものにするというのは可能だと思います.

自然は、何でもたくさん作ってしまった後で、環境に合っていたり、都合が良いものを選ぶという戦略で、これまでやってきたわけです.単一で、統一され、見事に、正確にでき上がった完成品ばかりでは、地球環境が変わると絶滅ですから.曖昧さとか多様性といった要素は、生き物が、この地球上で生き残るための戦略であって、工学の戦略とは違います.しかし、曖昧さをもった工学機械が出てくると、戦略も違ってきますね.

三井:同一のもので、瞬時に絶滅するというのは、クローンですね.かって、同じ物をつくるのが良いことだとして進んでいた時代があったような気がします.

B:アイルランドではジャガイモの疫病で飢饉になりましたが、原産地の南米では、いろいろなジャガイモが植えてあったので大丈夫だったという話がありますね.

三井:今や、ゲノムが解析されて、いろいろと分かってきているし、DNAは自由に合成できますし、遺伝子の改良も簡単にできますね.そうすると、最初から作りたいものを設計して、適当な遺伝子を揃えれば、何か新しくて良いものを作ることは可能になっているのではありませんか.

榊:そうだと思います.私も含めて、生命を作りたいと思っている人は、生命の自己複製機能は外せないので、設計図からタンパク質を作り出すというプロセスは利用させてもらって、作られてくるものについては、今までにない組み合わせの反応とか代謝をするというようなものを考えていると思います.

例えば、PCBやダイオキシンのような公害物質を代謝する微生物の代謝反応を理解して、理想的なプロセスを描き出してやろうという試みがあります.また、セルローズを分解してバイオ燃料に変換するというのは、いろいろな微生物でやられています.シロアリの腸内細菌のように、セルロース分解系が極端に発達した生物から、関連遺伝子だけを採ってきて、それを、ある生物や細胞系で統合しようというような方向に向かっているのだろうと思います.

理研に居るインド人の研究者は、DNA配列をランダムに作り、それをバクテリアの中に入れて、何か分けの分からないタンパク質をどんどん作り続ければ、そのうちに、何らかの機能をもったタンパク質ができてくるのではないかということで、一所懸命やっています.全く想定されない反応をするものは、測定されることもないので、定義は難しいのですが、正に、進化工学ですね.

C:大学の3年生です.生命を作る理由、あるいは、目的というのは何でしょうか

大島:榊先生と私は、答が違うと思います(笑).有機化学では、新しい化合物が見つかったとき、その化合物の構造を赤外線などで調べますが、最終的には新たに合成するのです.それが、その化合物を理解する一番の早道だという考え方があるわけです.私の場合は、その考え方に近くて、生物を機械として見立てたときに、機械として作ってみる.それが理解の一番の早道だという気がするからです.

榊:生命を作りたいと考えている人達の目的には2種類あって、一つは大島さんのように、「生命現象を理解したというけど、本当か」ということで、再現してみる.もう一つは、生物が獲得してきた方式というのは、効率が良いかどうか分からないけれど、常温常圧で、難しいことを、サラッとやっている.そういうプロセスを活用したいということがあります.この先、エネルギーの枯渇とか、様々な環境問題のことを考えると、生命のやってきたプロセスで置き換えることで、多少は良い方向に行くのではないかという思いが、私にはあります.

C:人間としては、物理的な法則や社会的な仕組みを解明し、それを利用するところまでなら良いと思いますが、新しい生き物を作り出すのは問題が多過ぎるのではないでしょうか.生命現象の理解のために作った生物は、仕組みが解明されてしまったら、廃棄されて、野に放つことになりますね.また、エネルギー枯渇の問題にしても、新たな生物を作り出さなくても、既存の何かを使うようにしたほうが良いのではないでしょうか.

榊:都合の良いものをどんどん作って野に放つということは、決してありません.いろいろな安全弁をかけながらやらなければいけないことで、これは、誰でもよく分かっていることだと思います.先程、生物の共生現象を利用するという話をしましたが、封じ込めをすることもできるし、固定化することもできます.更に知識が増えてくれば、自然界で増えない方法をいろいろと考えることはできると思います.

このカフェ・デ・サイエンスでは、過去に、「微生物は敵か味方か」という議論があったそうですが、微生物というのは、実は、ものすごい味方で、自然環境が保たれているのも、かなりの部分は、微生物のおかげです.微生物は、我々に害のあるものを分解しているし、木が倒れて、セルロースが分解されて、土に変わって、また植物が育つというのは、ほとんどが、シロアリの中にいる腸内細菌がやっている作業です.私が注目しているのは、こうした微生物の力で、それを活用することが大事になるのではないかと思っています.


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Last modified 2008.07.22 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.