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講師: |
大島泰郎(おおしま・たいろう) |
ゲスト講師: |
松野孝一郎(まつの・こういちろう) |
日時: |
2007年6月16日 |
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異端児のみる生命 「生命の起源」 |
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三井:PCRというのは、polymerase chain reactionのことで、小さなDNAの切れっ端があったときに、それと同じものをどんどん増やす方法ですね。それを、どこにでもあるDNAではなくて、人工合成した、非常に変わった塩基をもったDNAの切れっ端でも同じ方法で増やすことができたというわけですが、それは何に使えるのでしょうか。研究費の申請では、将来何かの薬になるというふうに書くのでしょうね。
H:先程の記事では、何とかザウルスをつくるとか(笑)。平尾先生もその方をよくご存知で、記事の半分以上は、平尾先生の話だったそうです。記者がインタビューしているうちに、違う人の話になったということらしいですね。
N:私は、実際にDNAを人工合成していますが、200塩基くらいのDNAは、今の技術で、比較的簡単につくることができます。それを、タンパク質の殻に入れれば、全く新しい人工のウイルス程度は、人工核酸を組み込まなくてもできるわけです。これを人工生命と呼んでいいのかどうかですね。
大島:ウイルスの場合は、ウイルスを構成しているものを物質として分けてしまって、それらを使って再構成することは簡単にできます。それは早くから分かっています。確かに、あるレベルの生物は、生きていると死んでいるの間は行ったり来たりできるわけですから、スルメからイカは、技術だけの問題だと考えてよいと思います。哺乳動物のクローンは、20世紀の間にはできないと、多くの人は思っていたはずですが、一人が突破してしまえば、あとは誰にでもできることになりました。
三井:今のところ、行ったり来たりできるのは、非常に体制の簡単な生物ですね。人間のように臓器がきちんと配置されていなければいけないような生物は非常に難しいわけですから、生物といっても、いろいろレベルがあるということですね。
大島:クローン羊のドリーは短命でした。あの羊は、生きている状態がかなり低いところからスタートした生き物だと考えられます。ある意味では、年をとっている親に非常に忠実に作ってしまったわけです。つまり、赤ん坊は、生きている状態がうんと高いレベルで、私はもうだいぶ下のほうに来ている(笑)ということだと思います。
U:老化というのは、時間との兼ね合いですね。細胞にしろ、ウイルスにしろ、寿命というのはあるのでしょうか。
大島:私も関心はありますが、寿命はものすごく難解ですから、誰も答えは知らないと思います。屋久杉の寿命といっても、落雷でも受けて倒れない限りは、寿命がないように見えますし、微生物は、環境が良ければ、無限に生え続けるように見えます。難しくて、私もよく分かりません。
三井:個体には寿命があるけれど、生殖細胞は永遠ですね。
S:DNAを商売にできないかと日頃から考えています(笑)。生命の起源がテーマになっていますが、これは、生命とは何かということと同じなのでしょうか。また、生命の起源を議論することが、人間の起源、あるいは人間とは何かということに、どのように繋がっていくのかをお聞きしたい。
三井:今年の異端児カフェでは、この次の次あたりで、人間の起源などを話題にしたいと考えていますので、そのときに・・・(笑)。
大島:生命の定義は一つである必要はないですね。それぞれ専門の立場で定義が違うということは、当然あり得るわけで、松野先生と私は、たぶん、定義で一致することはないと思っていますが(笑)。
三井:アイゲン(Manfred Eigen, 1927-)という物理学者のように、「生命の定義なんかすることは馬鹿げている」という人もいますね。「生命とは何か」について、何となく欲求不満ではありませんか。
N:生命と非生命の境界はないと言われたことに、私も大賛成なのですが、命というのは不思議だなぁというのもあります。その不思議だなと思っているところに、モノを素直に見ていないところがある。あるがままがあるがままなんですよ。
最近では、DNAを簡単に作っていますよね。材料が集まればウイルスもできる。ここまできているのに、なぜ、生命は人工で作ることができると言わないのだろうかと不思議です。我々は生命を一部作っていると言ったほうが、ありのままを正しく認識することになるのに、そう言わないのは、何かあるのではと勘ぐりたくなりますね。
最近は退職して時間があるので、一所懸命に洗濯をするんです。洗濯物を干して、乾かしたものを取り入れ、それをたたんで束にしておく。そうすると、その上に猫が乗るんです。僕は「けしからん」と思うわけです。こういう柔らかい場所をつくったのは俺なのに、猫は何も知らずに、その温かさだけを享受してるわけだから。しかし、「待てよ」と。洗濯物をホッコリとさせたのは私じゃないんですよね。日光が当たったからそうなったのであって、私は条件を整えただけです。やっているのは全て自然です。人間はその手続きをするだけなんです。そこには、すごく差があると思いますね。洗濯物に乗ってノウノウとしている猫を見て(笑)、以上のようなことを考えました(拍手)。
三井:今日のようなテーマでは、話が目的論的になりやすいのですが、それが無くてよかったと思います。今のお話は、そういうことを言って下さって、有り難かったと思います。
I:私も、学生時代は生物のことを勉強していたので、生命とは何かをいろいろ考えましたが、結局、分からないままに卒業してしまって今に至りましたので、今日のお話をとても面白く聞きました。ただ、生きている相手と死んでいる相手とでは大きな差がありますので、魂のようなものを信じてしまうこともあります。生と死が連続していることは何となく分かりますが、大島先生は、どのようにお考えでしょうか。
大島:死体と生きている人とは大違いですが、私が連続だと言ったのは、たとえば、水と水蒸気なのです。水と水蒸気は、温度だけ変えれば、行ったり来たりできるのですが、液体の水と水蒸気は大違いですよね。それと同じことだと・・・(笑)。
Y:臨床医の方との雑談で、女性は14歳くらいで出産するのが、子孫を残す上で一番良い状態だとお聞きしました。細胞の老化は進んでいくわけですから、やはり、早めに出産したほうがいいのでしょうか(笑)。
三井:この分野は、最初に大島さんが逃げたところですが。
大島:もう、時間もありませんので(笑)。生物は進化して、有性生殖を確立してきました。それは進化の上で、遺伝子が混ざり合うという、非常に有利な生物の子孫の残し方です。その生殖細胞が確実に安全に機能するために、その他の体の部分ができたのです。先程、三井さんが仰ったように、生殖細胞そのものは寿命がなくて、おそらく、永久に続いている。ジャイアンツはなくなるかもしれませんが、生殖細胞は永遠に不滅です(笑)。ところが人間は、生殖細胞を維持するためにつくった部分のほうが大事になってしまったわけです。だから、決して自然の選択には任せないで、老化に対しても、技術でカバーし、生殖、種の維持に役立たない老人を社会の構成員として残し,またそのことが社会的な課題となっている。現在では、いわゆる、生物進化の時代は終ったと考える人がいたりします。
三井:何かすごいことになってきましたね。
S:物理学は全て数学で説明することができると言われますが、生命と数学との関連性はどうでしょうか。
松野:結論から言えば、生命と数学は極めて関連があります。ゲーデルの不完全性定理というのがあります。それは、「直感的に正しいということは確信できても、論理的に証明できないものが世の中にはある」というものです。つまり、数学で証明できないことでも、経験的には意義のあることがごまんとあるということを言っている。生命現象はそれではないかと思います。
S:私は趣味でジャズセッションをやっているのですが、どこからどこまでがジャズかというのを(笑)、考えることがあります。即興がなくてもジャズに聞こえるし、リズムをロックのようにしても、ジャズに聞こえる場合があります。これは、生命が連続的であるということに通じるのではないかと思いますし、生命への道筋を作っている一部も、既に生命と言えるのではないかと思います。
M:生命とか死というのは、人間がつくったことなのですね。チョウやイナゴは生や死を考えない。
三井:聞いても分からない(笑)。面白いところで、いつもお終いになるんですが、長時間ありがとうございました。(拍手)
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