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講師: 織田孝幸(おだ・たかゆき)、森田茂之(もりた・しげゆき)
日時: 2006年5月18日 |
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数学カフェ 「数と図形を結びつける」 |
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>> 脳の働きを数学的に表現できないかと思っています。実は、3年程前から量子力学を勉強し始めたのですが、
ある種の生体内の反応に量子力学を適用すると、虚数がでてきます。脳には虚数が似合うということもありますが、
数学的にはどのように考えたらいいのでしょうか。
織田: 虚数とか複素数というのがどうしてあるかというのを説明しろと言われても、私には分かりません。
数学自体は、人間の生きている世界を理解するために作られた言葉ですが、なぜ、その世界に複素数が出てきているのかと言われたら、
人間の住んでいる環境が複素数と相性がよいものになっているとしか言い様がありません。ただ、複素数を使うと、平面の回転などを、
非常にうまく説明できるんですね。だけど、本当にうまくいっているかと言われると、やはり、それは分かりません。
惑星の運動というのは不思議ですね。他の星は、毎日、一定の運動をしているのに、惑星だけは、とんでもない運動をしている。
しかし、その運動が、ちゃんとケプラーの法則で説明できる。更に素晴らしいのは、ニュートンが、その天上の惑星の運動を調べて、
地上のリンゴが落ちた世界でも、同じ重力が働いていることを証明したことです。天上の世界と人間の住む地上の世界は別だと思われていたのに、
同じ法則が支配している。それはなぜかと言われても、分からないですよね。複素数が出てくるのも、それと同じようなものだと思っています。
骨の話に入る前に、先程、浮き袋の話がでてきましたので、どうやって浮き袋の穴の数を決めるかというのをご覧にいれます。
今度は、少しタネがあります。この風呂敷で浮き袋を作ろうというわけです。これは四角い布ですけど、お裁縫で三角形を作ります。
斜めの黄色い線は、三角形にするために糸で縫い合わせたとします。糸は3本あって、三角形が2枚あります。そして緑のところを縫い合わせると、
筒ができます。次に茶色のところで縫い合わせる。最後の糸を止めるところは、一カ所です。糸を止めるところは点ですから0次元、糸は1次元、
三角形は2次元です。先ず、0次元のものを数える。これは1個しかない。次に1次元のものを数える。糸は3本あります。
そして、二次元の三角形は2枚です。0次元のものから、1次元のものを引いて、二次元のものを足すと、1-3+2で0になります。
これは2枚の三角形で作りましたが、何枚縫い合わせても、糸を止める数、糸の数、面の数で計算していくと、必ず、全部ゼロになります。
これは「オイラー数」と言いますが、私の同僚の一人は、「オイラー数は国民の常識」という講義をしました。
そこで、骨の話ですが、人間の顔にある穴の数では、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も同じで区別がつきませんね。
では、数学は全然役に立たないかというと、そういうトポロジーの前に、あの有名なガウス(Carl Friedrich Gauss)です。
ガウスは、曲面の性質を調べるために、曲面の上に線をひいたんですよ。そして、一番短い線がどうなるか調べました。
そうやって、曲面の曲がり方、「曲率」というものを考えました。
これからは、私の仮説ですが、人間の顔にこの曲率を適用しようというわけです。たとえば、新人類の顎は出ているけれど、
ネアンデルタール人の顎は峠道のようになっている。それに眉の辺りもこう出ています。だから、曲率を計算して、その値によって色づけすれば、
比較できるのではないかと思っているのです。
森田: 曲率というのは、我々の顔の表面とかビンの曲がり具合を実数で表す考えであって、
1820年代のガウスの発見から連綿と続いているわけです。半径がrの球面だとすると、曲率は1/r2になりますが、半径が地球のように大きくなると、
曲がり具合は非常に小さくなって、地平線にしか見えませんけど、宇宙から写真を撮ると曲がっているわけですね。
円柱は一方向が真っ直ぐになっていますから、曲率はゼロになります。両方に曲がっていないと、曲がっているとは言わないんです。
球は1/r2なんですが、峠道とか馬につける鞍のような曲面は外側に向かってどんどん広がろうとします。
つまり、球面のような凸面は正の曲率を、峠や鞍のような球面は負の曲率をもつことになります。そこで、顔やビンなどの造形物に対して、
各点の曲がり具合を曲率という数で表します。たとえば、ネアンデルタール人とか現代人の顔を、曲率に従って色付けする。
正に曲がっているところは赤で、その曲がり具合の大きいところは濃い赤、真っ平らなところは白にして、負に曲がっているところを青にするというふうに、
曲がり具合を、色の違いと濃淡によって表すと、曲がり具合の特徴が見えてくる。
これを、コンピュータグラフィックスでグローバルに数量化して分類していくと、ネアンデルタール人と現代人では、かなり違うから簡単だと思うけれど、
現代人でも東洋人と西洋人とは違っているとか、東洋人でも日本人と中国人は違うというのが出てくるかもしれません。
しかし、比較するのはなかなか難しいのではないかと思います。
三井: 骨の形に興味をもっておられた方、他にもっと聞きたいことがあるんじゃないでしょうか。
>> 医学部の学生です。これまでは、骨の名前を覚えるだけだったのですが、
骨の形だけで分かる方法があるというのは考えたことがなかったので、医学と数学との繋がりをもっと知りたいと思っています。
織田: 堀田先生の話では、マウスの顎の形なんかを調べているらしいですよ。
それは、成長するにつれて変わるところを説明しようということらしいのですが、面白そうだから、私も少し考えてみようかと思っているわけです。
3次元スキャナーというのがありますが、これで計測した値に数学を加えれば、曲率が簡単に計算できそうです。
それは夢みたいなものかもしれませんが、骨の名前を全てラテン語で覚えることとは違うモノの見方もあるということです。
三井: この会の最初で、経験を積めば、見ただけで違いが分かるようになるけれど、
誰でもそういう経験を積むわけにはいかないから、何らかの数値で表すことができれば、誰にでも見分けられるようになるかもしれないというお話をされましたね。
織田: そうです。経験だと、これは曲がっていると言う人がいたり、これは真っ直ぐだと言う人がいたりして、
収拾がつかなくなる。数値にしてしまうと、議論の余地はない。だから、話の通じる仕掛けが要るわけです。数学は、そのような大事な仕掛けです。
数学カフェの「証明」のときに、また話をしますが、最初の出発点は「公理」といって、貴方と私は、こういう前提でお話しましょうということです。
ここまではお互いに認めますが、ここからは、こういう議論の余地はありますねと。こうして議論の余地がないことを積み重ねていって、
両方が合意した結果が「定理」です。サイエンスというのは、皆そうです。公開したところで討論していく。誰も認めなければ、話は成立しない。
骨をノギスで測るのは、誰が測っても変わらない。少し誤差はあるかもしれないけど、誤差の範囲ではおさまらないところで、ネアンデルタール人だったり、
クロマニヨン人だったりする。数学は、そういうための仕掛けです。
三井: 私達は、言葉でお互いに理解し合いますが、数というものでも説得したり分かり合ったりするんですね。
そうすると、言葉と数の認識の仕方の違いというような新たな疑問も湧いてきます。今日は、黄金比についてのコメントもあったのですが、
そこまで話がいきませんでしたので、またいつかの機会に譲りたいと思います。ありがとうございました。
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