吉川先生講演に対する質疑応答
1.ハンガリープロジェクト
2.第二種基礎研究は公的財産になる
3.Disciplineの増加と合体


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3.Disciplineの増加と合体

(西村) 
今の最後のところなのですが、ずいぶん文化人類学を思い出しておりました。例えばレヴィ・ストロースの生物(なまもの)と火にかけられたものという分類が、それに近いところがあるように思いながらお聞きしました。文化人類学の場合、構造主義以前(レヴィ・ストロース以前)は日誌ですよね。基本的に野外調査の日誌であったものを、レヴィ・ストロースが向こうへ帰る時に、それを構造化する。ちょうどそのプロセスに対応しているのかな、そんな感想を持ちました。

(吉川) 
そうですね。私はですから、レヴィ・ストロースを引用してもいるのですけれどもね。まさに西村さんのご指摘になった、レヴィ・ストロース以前のマリノフスキーという巨大な人がいて、それに対して反抗するわけですよね。その論争というのを見ると非常におもしろいです。それはまさにそういう話が展開されています。

(西村) 
伝統的にファッション業界の人たちは、カジュアルとビジネスという分類をしていて、フォーマルをビジネス方向の極に位置づけていました。カジュアルの反対側のほうに位置づけていたのです。ところが、若造たちがタキシードを着て遊ぶということを始めて、そこに位置づけられなくなった。どうしても別の軸、分類軸が必要になって、カジュアル、ビジネス,フォーマルを、二次元空間ではなく、三次元空間にしなければいけない,そんな感じの論文を書いたことがあります。

(吉川) 
その次元が爆発するのですよ。

(西村) 
どこかで分類可能な距離をつくるようなところを入れようとすると、今のところからもう一次元必要になってしまったりします。危険なのはDisciplineができてしまうと、第一種基礎研究が始まってしまうということが起こらないか,そういう疑問があるのですが。

(吉川) 
そうですね。いや、私、その点はね、Disciplineは必ず増えると思うのです。環境問題なんかがそうです。まず環境学者が出すでしょう。これはしょうがないのです。あるいはインターDisciplineというのもおかしいです。DisciplineA、DisciplineBの間にインターDisciplineをつくれば、その境界の数を増やしているばっかりですから。ですから彼の言ったDisciplineの爆発というのが起きる。私は非常に興味を持つのは、2つ以上のDisciplineがどうやって合体できるかという非常に根底的な方法論なのです。いくらでもつくっていいと。しかしいくらでも合体できると。要するに行きと帰りを同じ労力でみんなができるようになったということです。これは非常に効率的な、こういってしまうと表現が悪いのですが、知識の体系をつくるという意味においては、バランスのとれたものになるということですね。ところがこっちの戻すほうは全然ないですから。それで最初に申し上げたのだけれども、環境問題だってそうです。日本の縦割りがまさにそうなので、1つ1つの省庁が1つのDisciplineを持っていれば、非常にうまくいくのだけれども、例えば総務省と文科省はまったく憎み合っているところがあるでしょう。そういうようなところも結局、共通のことがない。つまりわれわれは両方の影響を受けるのです。通信関係は総務省の影響を受けるし、研究ということになれば文科省です。違うことを言うわけです。あるいは財務省なんかは全然違うことを言うでしょう。どんどん自由に研究しなさいなんてね。財務省は細かいところまで見ます。途端にどうやっていいかわからなくなってしまうというのは、実は両方の法則が違うからなのです。そういうのは、実質社会の中でたくさん存在していて、ですから私の理論が成功すれば、総務省と文科省が一緒になれると、こういうことです。

(唐津) 
よろしいですか。SRIの唐津と申します。大変興味深かったのですけれども、普通アナリティカルとシンセシスに分類すると、シンセシスではエネルギーの注入が必要であるというような一般的な議論があって、それは今のお話では、注入するものは、別のDisciplineである。ストラクチャーを持つものはもちろんストラクチャーを補填するのですけれども、そうすると今、Disciplineを整理して統合していくというところのメトリックスは何かなというふうに思っていまして、たぶん今の科学のアナリシスから何かこう対象物が出てくる、そういう流れを仮定した場合には、何をつくるのか、何か目的物があって、その目的物がおそらくメトリックスになると。そこから見て、いろいろなDisciplineをいかに統合していくのか。そういう作業になるのかなというふうに拝見していたのですが。

(吉川) 
本当はそうなのですけれども、今日全然お話しなかったのですが、私は長い間、興味を持っていたのは、やはり物質系を例えば原子に分けるとか、そういう意味である種の体系的な知識をわれわれは握っていたのですけれどもね。人間にとっての有用性ですよね。あるいは環境維持ということを考えた時には、物質が原子からできているということ以上に、原子が地球上をどういうふうに循環しているかということのほうが重要なのですね。ところがそういったように、われわれはある種の目的を考えた時に、そこに知識体系が出てくるので、地球環境の維持という概念がなかったために、実はデモクリトスの言った、ギリシア時代の人が言った、物質はアトムからできているということと、万物は流転するという、その2つの言葉の前者しか追ってこなかったのです。流転するということは、なんと環境問題が起こってから初めて、例えばカーボン分子がどういう仕組みを動いているか、例えば、植物と動物の間は、わずか数週間で炭素原子が流通しているのだというようなこととか。あるいはいったん地中に入っちゃうと、何百万年しないと出てこないとか、そういう一種の流通系なんていうのは、急速にわかってきましたけれども、それはご指摘のように、いったい地球は、われわれにとっての環境は何なのかと考えた時に初めて出てくる知識体系です。
 さて、それではわれわれにとって必要なものというのは、私はこれを機能と呼んだのだけれども、この機能というのは構造があるのかという話なのです。機能にもし構造があれば、物質系でわれわれが持った知識、すなわち構造ということですね、一種の写像ができるのです。これが設計学なのです。ところが機能というものの構造を見つけ出すことは極めて難しいという問題があって、これはまあ誠に文化的な問題なのです。文系の発想なのです。それは難しいです。ご指摘のとおりで、機能という問題をきちんと整理できれば、ある意味では今日のような話も解決する糸口が見られるはずです。



 
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