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武田計測先端知財団第一回座談会
吉川先生講演に対する質疑応答
日時: 平成15年8月5日 10:00〜13:00
会場: 武田計測先端知財団
吉川弘之先生(産業技術総合研究所理事長)
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(大戸) (大戸)今から質問をお受けしたいと思いますけれども、どなたか質問がある方、いらっしゃいますでしょうか。
1.ハンガリープロジェクト
(嶋田) 先生のハンガリープロジェクト、ハンガリーの人のコンピュータープログラムにいろいろデータを入れようと思ったら、すごいコストがかかるからやめたというお話のところで、具体的にどんなデータを入れようとされたのかというのと、なんでやめなくちゃいけなかったかというところを、もうちょっと教えていただきたいのですけれども。
(吉川) やめた理由はいろいろあるのです。実は当時、教育社っていう出版社、そこがスポンサーになったのです。その頃は、今と違ってコンピューターを使うのは非常に高かったわけです。それでデータは、例えば工作機械となれば、その工作機械のまず構造を全部書かなければいけない。それもわれわれのところで開発した接続グラフというのを使って書くのです。どういう部品がどれだけ接続している、どういうかたち、接続にはどういうビスを使われている、まあ技術要素をずっと書いていくのです。それが何年にどこで開発され、どういうかたちで使われたか、大変な歴史的な調査をしなければいけないのですけれどもね。しかもその前身にはどういう工作機械があって、その工作機械はいつまで使われて、何に代替されたか、そういうデータも入れるわけです。場合によっては発明者の名前とかね、その発明者の履歴みたいなものも全部入れるとか、そういうデータを1つの機械についてつくるわけです。それを入力してやろうと。システムはそれを検索しながら、共通項を探しだしたりします。それは要するに連続的な流れをつくるという話ですが、それはシステムとしてはよかったのですけれども、データが、どのぐらい入れたのかちょっと今、記憶がありませんけれども、全体としてその技術全体を見るまでにはいかなかったのですね。
(嶋田) それは要素数が多すぎて、コンピューターの処理能力がうまくいかなかったのか、それともその調査が間に合わなかったのかという、どちらなのでしょうか。
(吉川) ですから結局は、われわれの研究室の学生だけ使って入力していたのですが、実際にはその人たちのアルバイト料で資金が枯渇してしまいました。やはり、人が入れるところがいちばんコストがかかるのですね。
(嶋田) わかりました。
(吉川) それで原因でやめてしまったのですが、4年間議論しましたら、大変おもしろい話がたくさんあって、私どもとしては悪夢の話というのは、非常によかったのではないかと思います。この頃の話というのは、余談なのだけれども、今、死の谷と言うのですね。あれ、どうして、あんなことを、同じようなことを言いだしたのかと思って聞いていたら、グランスフォンというアメリカの、今はMITにいるのかな、IBMにいた人です。その人があるアメリカの議員が、そういうことを議会で話したと言っています。ですからそれはまさにアメリカ、アメリカは死の谷ですよね、西部にありますが。アメリカで言えば、西部開拓時代と同じ話で、それを越えるための研究資金を出すって、こういう意味で死の谷を使ったのですね。議員はその話をどこから聞いたかと言うと、その議事録を見ると、ヨーロッパのあるところで聞いたと書いてあるのですね。ですからたぶんこの話だと、今は思うのですが、歴史的な背景を追っているとおもしろいと思うのだけれども、自分の話としては言っていないのですね、聞いた話と言っています。この論文というのは、唯一『コンピューターシステムズエンジニアリング』かな、なんかそういう雑誌にHatvany が発表したらしいです、この話をね。どうも図面なんかはないですよ。これは日本で私が使っていた考え方なのですけれども。夢と悪夢と現実という言葉がそこに使われています。83年の論文です。
(嶋田) その要素技術の歴史をたどってくると、つまり発明があってから、それが組み合わさって、ちゃんと製品が出てくるまでに結構、デスバレーがあるということが…。
(吉川) データとしてわかったということなのですね。それは原理の発見なんかも同じですよね。半導体なんかも典型的な例になる。半導体は具体的な物になるまでにはものすごいいろいろなことがあり、まああそこには醜い争いみたいなのもあるわけでしょう。誰が先に発見したとか。そういうのを経て、実用化していくわけです。そこは大変辛い期間なのです。半導体なんかも非常に大きな議論ですけれども、われわれの非常に身近なCADとか工作機械なんかも、みんなそういうパターンがあるのです。
(嶋田) どうもありがとうございました。
(大戸) 他にいかがでしょうか。
(中島) ちょっと補充しますと、歴史家とエンジアニアというグループが、研究グループの中で二つ出来てしまって、さっきの融合が難しいということは、このプロジェクトでもそうでして、その時に歴史家がなんかわーわー言っていたのは、どの要素が本当に大事なのかというのは、要するにそこの評価替えが起きるのではないかというような話も出てくると、話が混乱してしまうのです。つまり、要素技術がこうこうつながっているというのはプログラムで表現できるけれども、本当は見えないもっと大きな枠組みが技術を規定しているのではないか。今はそれが分からなくなってしまっているのだが、その時代の枠組みを理解しないと技術の成り立ちが見えない。こうしていろいろな歴史的な概念が混乱すると、今度はもっと複雑なプログラムでなければいけないのではないかという話になって、そこがまたますます混乱して、歴史家が混乱をさせたと、それは責任を感じているのですけれども、歴史家から言いたい。先生方は見えないけれども、社会的な要請があったのではないかというような批判で、それは実は機械要素以上に強く働いたのではないかと、そんなことがまた議論を混乱させた。
(吉川) 実証できない要因があったのだという、歴史家の発言ですね。3人、研究室の長がいて、Hatvany と私と村上陽一郎さん。それで、中島さんは村上陽一郎さんの筆頭お弟子さんなので、そこでいちばん発言が多かった人なのです。
(大戸) ありがとうございます、他に…。
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