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第32回レポート
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第32回リーフレット

第32回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  池内了(いけうち・さとる)
日時:  2010年12月20日



世界はパラドックス「生物のパラドックス」 BACK NEXT

三井: 受精卵ができるためには、親が必要ですね.

池内: 親はニワトリではないのです.

G: ウマとロバかもしれません.

三井: つまり、これをニワトリと言うのは、どういうことで言えるかということですか.

池内: ニワトリという種が産まれた以前のものと、それ以後のものとの間には断絶があるのです.ニワトリという種は、ある段階で遺伝子が揃ってニワトリという系列が出来たわけで、それ以前の状態はニワトリではないのです.ニワトリの先祖です.先祖だから、ニワトリ的な性質も、他の性質もいろいろもっていることになります.

三井: そうすると、かなり似ているわけですね.

池内: 似ているのでしょうね.人間の場合でも、先祖はサルだと言いますね.

三井: それは違います.

池内: もちろん、現在のサルではありません.しかし、基本的にはその原型になるものがあって、人間なら人間という遺伝子を揃えたことによって人間が産まれてくるわけです.それ以前はヒトとは言いません.

三井: そんなに不連続的ではないような気がします.つまり、かなりニワトリに近いものが少し前に出来て、やがて、本当のニワトリの遺伝子をもった卵ができたときに、初めてニワトリだと言うのがよいのではないかと思っています.

池内: それに関しては、私は余り詳しくないので、明確な答はできませんが、新しい種が産まれるときに、ダーウィン的に、ゆっくりゆっくり物事が変化していく場合と、ラバのように全く違う新しい階層のものを作っていく場合と、どちらもあるのでしょう.だから、ダーウィン的な変化だけで、全ての生物種が説明できるかどうかが常に問題になっているわけです.一つのDNAから、こんなに多様な生物が生じたのは不思議だと言われていますからね.ニワトリの親が何かは知りませんが、しかし、今のニワトリの全性質をもっていた出発点のものと、それ以前のものは違うと思います.

三井: それは分かります.ただ、先程のラバというのは、自然にできるものではなくて、人間がかけ合わせて作ったものですね.そこはかまわないのですか.

池内: 今の遺伝子がどのように変化していくかということを見る限りは、別にかまわないのではありませんか.

三井: 自然にも、そういうことが起こるかもしれないという例えですね.要するに、ニワトリの場合は、真剣にそこまで突き詰めて研究した人がいないということですか.

池内: その点はよく知りません.

H: 皆さんが考えているニワトリという言葉の概念は同じなのでしょうか.つまり、実物のニワトリを考えている人は、ニワトリと卵は違うかもしれませんが、種としてのニワトリを考えている人は、ニワトリも卵も同じ種になります.概念を異にしたままでは、この議論は際限なく続くのではないでしょうか.

池内: 際限なく続いてきたからパラドックスなのです(笑).人それぞれにモノの見方は違いますからね.

大島: ニワトリが先か、卵が先かという話を、新しい国家が誕生するときに当てはめてみると、ニワトリは民衆で、卵は、遺伝子が規制しているものとして政府に相当するのではないかと思います.日本の場合は、明治維新のときに、坂本龍馬らが、どういう政府を作ろうかと相談していますから、日本の近代国家は卵から産まれました.ヨーロッパの国々は、だいたいが民衆の革命から始まっています.アメリカなどは、ボストンで騒ぎを起こしてから政府をどうしようかと考えていますから、ニワトリから始まって国家ができたのです.西洋はニワトリから始まっているけれども、アジアは卵から始まっているように思います.(笑)

三井: こういうのがパラドックスの典型の一つで、いろいろな見方ができるということで、他のパラドックスに行きたいと思いますが、雄と雌のパラドックスはどうでしょうか.池内さんは、『パラドックスの悪魔』(講談社)という本の中で、「雌と雄は反対の性という意味でパラドックスを体現している」と書いていらっしゃいますが、存在そのものがパラドックスであるということですね.今日ご参加くださった方の中には、「相補うものではないか」とか、「生物世界では、一見相反するものが対で存在しなければならないのではないか」というコメントを寄せられた方もおられます.例えば、血圧を上げるホルモンと血圧を下げるホルモンといったように、必ず対になっていますが、そういうものがないと、生物は恒常性を保てなくなってしまうわけですね.

今日は、生物のパラドックスという例をいくつか挙げてありますが、そこに一定の法則や、個々に独立した理論が存在するのかという疑問を出しておられる方もいます.これは簡単にお答えできるのでしょうか.

池内: 答えられないと思います.科学者が全てに適用できる究極の理論を目指しているのは確かですが.

三井: 特に物理学者はそうですね.

池内: 物理学というのは、無機的必然としての運動とか反応性を扱うという意味では単純ですが、生物というのは、生物特有の様々な性質が付与されて、非常に複雑なシステムになっていますから、普遍的な法則が本当に見つかるかどうか分かりません.非常に時間がかかるのは確かでしょう.ただ、部分部分についての法則性がわかってくれば、その中で共通する部分を選り分けていけばよいのではないかと思います.

三井: 先程のニワトリと卵の話でも、ゴシャゴシャになったというは、その一つの証拠かもしれません.

池内: どこに目を付けるかでかなり違います.生物は、ゲノムの階層があって、ゲノムからアミノ酸が繋がってタンパク質ができる.タンパク質から細胞が出来て、細胞がいろいろな臓器を作り、臓器が個体を作って、個体が個体群を作る.こうして、非常に多階層になり、その階層毎に異なった法則性が成り立っていると思われます.どのレベルに問題を合わせるか、どのレベルで共通性を見いだすか.結局、これは、かなり分かり難いことなので、今の科学の方法は、ゲノムのレベルが基本だと思い込んでいるわけです.


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Last modified 2011.01.19 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.