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第31回レポート
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第31回リーフレット

第31回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  池内了(いけうち・さとる)
日時:  2010年10月25日



世界はパラドックス「物理のパラドックス」 BACK

C: プランク定数という最小単位があって、プランク定数以下のスケールで何かが起こったとしても、物理学では分からないのではないでしょうか.

池内: 分からないわけではなくて、ある種の確率できちんと計算ができます.

F: 物理学の金科玉条は因果律だと仰いましたが、因果律と不確定原理というのは矛盾を感じます.

池内: 不確定原理は確率論で言っているのですが、波動関数で記述される確率は決定論なのです.

H: あるとき、未来が過去を変化させて規定するのではないかという議論になったことがあるのですが、過去が「因」で、未来が「果」というのが逆転することはありませんか.タイムマシンのパラドックスでは、未来が過去に繋がることになりますが、そこに綻びが生じると、因と果が逆転することにならないのでしょうか.

池内: 時間系列でいきますと、因は過去であり、果は現在より後です.因と果が逆転するようなことがあってはいけないと我々は考えています.

I: ユージン・サーナンという宇宙飛行士からの招待で、キノテック・アートという永久機関のような彫刻を見にアメリカへ行ってきたのですが、その彫刻は、一旦動き出すと絶対に止まりません.それがどのようにしてスタートしたのかを今考えているのですが、今、お話していたその辺と何か関係があるのかと思って.

池内: それについては知りませんが、ただ、仕掛けがあるのは分かります.

I: 仕掛けがあったのかどうかは分からないのです.

池内: 我々は、手品師の仕掛けが全部分かるわけではないですからね.手品を見たときに、仕掛けが無いとは思わないでしょ.皆さん、仕掛けがあると思って見ているわけですよね.

I: 手品師ではなさそうですが.

池内: 物理学者の信念としては、それは手品であると言っているわけです.何もエネルギーを与えないで、永久に動き続けるものは無いと、我々は考えています.どこかで摩擦があるから、必ず止まるはずですよね.物理学者は偏狭ですよ.そういう意味では.

三井: 展覧会の期間だけくらいは少なくとも動いているとか.

池内: それは、壁の中に水を通したりしているかもしれませんね.昔から、いろいろなやり方があるわけです.

G: 先程の議論を蒸し返すことになりますが、始めがあって、そこから来たというのは、キリスト教的な考え方ではないかと思います.仏教の教典のどこを読んでも、そんなことは書いてなくて、ただ所縁の結縄であるとしか書いていません.私は仏教のほうが良いと思っているのですが.

池内: そういう議論は、ここではやる資格がない.皆さんにはいろんな考え方があり、それは、それでかまわない.

J: 生命の誕生というのも、無から有ですね.そう考えると、無から有になるエネルギーは必要です.アインシュタインが言ったエネルギーというのは運動量のエネルギーであって、何か違う種のエネルギーがあったのではないでしょうか.(笑)

三井: 生命の起原ときたら大島さんに.生命は無から生じたのではありませんよね.死んでいるとの生きているのはどこが違うかという話になりますか.

大島: 多くの人が間違っているのは、生命の起原を、突然、ジャンプして生き物ができてきたかのように考えていることです.そうではなくて、細かいステップを踏んできているのです.つまり、連続の過程ですから、逆戻りもできるのです.生き物は、基本的に死なないというのが私の考えです.死ぬという状態はなくて、行ったり来たりしているわけです.

ところで、時間というのは絶対ですか.つまり、時間がゆらぐということはないのですか.先生と私の腕時計は違った時間を指していると思いますが、それはアナロジーで、一瞬私のほうが過去だったり、一瞬先生のほうが過去だったりすることはないのでしょうか.

池内: 一応、ゆらぎは考えていませんね.ただし、時間は相対的ですから、私と大島さんが全く同じ時間を言っているとは限りません.100万分の1とか、1000万分の1秒くらいの差はあるのです.その意味では、速くなったり遅くなったりというのはあります.ただ、速く走りますと、時間の歩みが遅くなりますから、そういうような運動なり重力場があると、各自の時間がずれるということはあります.

三井: 速く走ると言っても、光速に近い速度ですね.

池内: 無論そうですよ.(笑)

K: 今の宇宙の中で、プラスの部分が我々の認識できる世界であって、同時に、マイナスの部分も存在している.従って、最初の時点でも今でも宇宙全体をトータルで考えれば、それはゼロ、あるいは「無」になる.ただ、いろいろと変化していて、その変化の過程を一つずつ理論的に説明していくと、10のマイナス何乗かという小さな玉のところまでくると考えるのはいかがでしょうか.

三井: ただただ、多様に広がっただけということですね.

池内: そうではないのです(笑).始めのゼロの状態が5と-5の重ね合わせで、何かの切っ掛けで5と-5がで、それが宇宙の膨張で広がってきた.両方とも同じようにあるとすれば、仰るとおりですが、実は、プラスとマイナスが全く同じ量だけ残っているのではなくて、プラスの量だけが残って、マイナスは全部光になって消えてしまったのです.その量の差が十億分の1.十億分の1だけプラスが増える過程があったはずだと.後は、プラスとマイナスで元通りゼロになり、残った十億分の1だけの物質が現在を作っていると我々は考えているのです.

我々の発想は、現代の我々に近いところから、より遠い所へ想像力を広げ、領域を広げてきているわけです.広げてきたときに、この物質だけの世界で宇宙を作るというのはほとんど不可能であると.最初に1があったと言うか、何らかの方法で1を作り出さなければいけない.それはほとんど不可能なので、宇宙の始まりは、5と-5が対等にあり、少し時間が経ったときに、十億分の1だけが残り、それで我々ができていると考えれば、宇宙の仕組みが最も自然に説明できるというわけです.その後の小林・益川の理論で、その物質と反物質のちょっとしたズレの量を説明できるのではないかと思ったのだけれど、それでは説明ができないので、また別の仕掛けが必要だということになっています.

三井: お話が難し過ぎたかもしれませんが、パラドックスを切っ掛けにして、科学的な考えを深めるということは、ある程度うまくいったと思ってもよろしいでしょうか.

池内: いや、それは僕には全くわかりません.(笑)

三井: では、これでお終いにします.どうもありがとうございました.(拍手)


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Last modified 2010.11.24 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.