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第30回レポート
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第30回リーフレット

第30回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  木賀大介(きが・だいすけ)
日時:  2010年8月30日



異端児のみる生命「生命合成」 BACK NEXT

生命合成に対する倫理的な問題に関しては、これも難しいのですが、むしろ、皆さんのご意見をいろいろと聞いてみたいと思っています.

最後に、毎回、ゲストの方に、私から質問することにしているのですが、今日の私の質問は、我々がもっている遺伝暗号やアミノ酸セットと全く違うものをもつ生き物を、木賀先生の研究者人生の間に作ることができると思っていますか.

木賀: ベンターたちがやった研究を見ても、もう技術の話になっています.また、DNAを合成する費用もどんどん安くなっています.10年くらい前であれば、何かのタンパク質の研究をしようとすると、その遺伝子のDNAをもっている先生からDNAをもらうというのが常識でした.遺伝子を合成することはできても、かなりの値段と手間暇がかかっていました.ところが、半導体におけるムーアの法則のようなものがDNAの配列解読能力や合成能力においても見られるのです.実際に、私の研究室でも、少し変わった遺伝子について研究してみたいと思うと、合成遺伝子の発注をします.

現在はゲノム合成に数年と何億円もかかりますが、数十万円にまでコストが下がってくれば、後はどういうプログラミングをするかということだけになります.今のペースで研究が進み、私の研究者生命が続いているうちに、何種類かの遺伝暗号をもった別の形の生き物を作ることができることを期待して研究しています.

三井: 今あるものと全然違う遺伝暗号をもった生物ができたとしても、それが生物であるかどうかを、どのようにして判断するのですか.

木賀: 私から、皆さんにお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか.今は、生物が20種類のアミノ酸を使うということは常識になっています.では、アミノ酸を18種類しか使っていないものを生物と呼ぶことができると思いますか.あるいは、22種類のアミノ酸を使っているものはどうでしょうか.そういうものは生物だと思わないという方は手を挙げて下さい.

[ほとんどなし!]

思うという方はどうですか.

[ほぼ全員!]

アミノ酸の種類というのは、生物にとって必須の条件ではないということが分かりました.ありがとうございます.

三井: しかし、私たちには、アミノ酸の種類がどうなっているかは眼で見ても分かりませんよね.

木賀: そのとおりです.でも、あるものが無いから生物ではないとか、こういうものを持っているから生物として尊重しなくてはいけないというようなことを、皆さんはお考えのはずだと思います.

三井: やはり、ここで、大島さんと木賀さんに、生命の定義について、どのように考えていらっしゃるのかを伺っておきたいと思います.

大島: 地球上の生物についてですが、生物とは、自己増殖とエネルギー代謝を備えていて、かつ進化する機械であると考えています.要するに、生命は究極的に機械です.

化学反応の中には、反応の産物が触媒になる反応があって、それを自己触媒反応といいます.化学者の目から見れば、自分と同じものを作る自己増殖というのは、一種の自己触媒反応系です.一番簡単な例は鉄の錆です.鉄製のものに一つ錆がでると、その後すぐに錆が増えるのは、鉄の錆が自己触媒になるからです.そのようなものを生命の部類に入れたくないので、エネルギー代謝を付け加えるようにしています.

木賀: 研究者としては、大島先生と同じ答になってしまいますが、異議があるとすれば、栄養がジャブジャブなところに生まれる生命を想定すると、エネルギー代謝は含めなくてもよいのではないかという気がします.

私としては、現存する生物に固執しているところがありますので、DNAもしくはRNAを遺伝情報としていて、アミノ酸を使っていて、かつ増殖するものが私の考える生命だということになるでしょうか.

三井: やはり、アミノ酸と4種類の塩基に拘っていらっしゃるわけですか.

木賀: 4種類の塩基には拘っていませんが、塩基が何であっても、二重らせん構造をとるようなものを持っていると、生き物らしい感じがします.それに、私はタンパク質が大好きなので、タンパク質を持っていないものを生き物とは呼びたくないというところがあります.そうすれば、鉄錆や鉱物の結晶などとの違いにもなりますので、地球型の生命であれば、アミノ酸を前面に出してあげたいと思います.

A: 大島先生は進化が必要だと仰いましたが、木賀先生も進化が生物に必須だと思っていますか.

木賀: 生物が使っているものには、どうしてもエラーが生じてしまいます.そうすると、その後の淘汰される段階で自動的に進化が起こることになります.従って、生物の定義として、淘汰されるということを既に認めていることになりますが、栄養がジャブジャブで競争相手が無いところで生物を作ろうとしている研究者としては、生物の必須条件の中に淘汰が入らないので、進化を入れなかったのだと思います.

大島: 私が言ったことは、地球の生命の属性を整理したものだったかもしれません.そうすると、進化を付け加えるのは、馬から落ちて落馬するようなもので、余分だったということになります.エネルギー代謝というのは、簡単に言えば、食べ物を摂ることですから、有限の資源の中では、必ず競争が起こるはずで、その中で、適者生存という仕掛けが動いてくるというふうに考えています.

B: なぜ植物と動物があるのかという問題もあります.生きていくためにはエネルギーが必要なわけですが、動物は自分で栄養を作らないから、最終的には植物がいないと生きていけません.植物は水と二酸化炭素があれば自分で栄養を作ります.

木賀: 食虫植物は、虫がいないところでは成長が遅いはずですが、やはり植物です.また、既に死んだもの、それもかなり昔に死んだものを食べているとすれば、それらを生物と呼ぶかどうかという問題も出てきます.

ちょっと脱線してしまいましたが、動物と植物があるのは、それぞれが生きていく戦略に適しているからだと思います.専ら自分で栄養を作るものもいれば、他の生き物を食べて生きるもの、その中間形態のものもたくさんいます.他者を食べるということに基づいて動物と植物を定義付けるのは難しいと思います.生物の定義付けにしても、数多くの生物らしさという属性に対して、どれだけ合致しているかという曖昧さがあって、ゼロイチで決まるものではないと思います.

大島: 動物が他の生物に依存しているという状況は、外注のほうが安上がりだという経済の仕組みと似ています.人間は、タンパク質を作るために必要な20種類のアミノ酸のうち、ほぼ半数は作ることができません.必須アミノ酸の数は8種類だと習った方があるかもしれませんが、成長期にある子どもは、更に2種類足りません.遠い祖先は皆持っていたわけですが、人間への進化は、合成能を捨てて、他の生物から奪うという安上がりな方法を選んだわけで、総合的には、そのほうが他の動物との競争に勝てるという結論だったのだと思います.

日本では、食料自給率が問題にされていますが、私としては、自給率を下げて、輸入に頼る分だけ経済力が上がるという、そういう"ヒト"的な生き方もあり得ると思うのですが.(笑)

木賀: 微生物の場合は、DNAの全長が短ければ短いほど早く複製できるという利点がありますので、積極的にDNAのサイズを落とすという進化も見えてきています.その代わり、将来の環境変動が起きたときに、滅んでしまうというリスクも込みにしているわけです.そして、もう一つ大事なことは、進化の結果である今の生命のかたちというのは、この時点までは生き残ってきたということしか示していませんから、将来の環境変動に耐えられるという保証はありません.同じ意味合いで、経済的に豊かになるから、必要なものを他所から買うといった場合でも、食糧自給に関してよく出て来るリスクの話が潜んでいるということがあるかと思います.


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Last modified 2010.11.09 Copyright©2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.