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第16回レポート
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第16回リーフレット

第16回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  富田勝(とみたまさる)
日時:  2007年12月8日



異端児のみる生命 「生命の設計」 BACK NEXT

三井:今日は「生命の設計」というタイトルで行います.専門家として慶応大学の冨田勝さんに来て頂きました.

冨田:こんにちは.

三井:ホスト講師は、毎回来て頂いている大島泰郎さんです.

大島:よろしく.

三井:ここに、冨田さんがお書きになった『ゲーム少年の夢』という、講談社から1991年に出版されたご本を紹介します.これを拝見しまして、「このような方が世の中にいらっしゃるのか」と驚いたのですが、その方がここにいらっしゃいます(笑).その辺のことにも触れながら、先ず、冨田さんに、誘い水になりそうなお話をして頂こうと思います.

冨田:私のサイエンティストとしての原点は、今から30年程前に大流行したインベーダーゲームにあります.私は、そのプレイヤーとして超一流でして(笑)、絶頂の時は、東京六大学スペースインベーダー大会に慶応大学代表の一人として出場し、準優勝を勝ち取りました.因に、優勝は法政大学で、東京12チャンネルで放送されました.(笑)

三井:ご覧になった方、ありますか.(残念ながら・・・・・)

冨田:当時のゲームと言えば、スペースインベーダーしかありませんでした.あのゲームは私は絶対にゲームオーバーにならないんですよ。でも10,000点を超えるとゼロに戻りますから、何のためにやっているのか分からなくなります(笑).そこで、芸に走るわけです.プログラムにいろいろなバグがありますから、おかしな動きをすることがあります.それをわざとインベーダーにさせるわけです.それから、足でやったりしました.普通の人が手でやって7,000点を出すと「スゴイ」と言われた時代に、足でやって8,300点を出したことがあります(笑).足でやっていると、ゲームセンターの中に人垣ができたものです(笑).

本当にゲームを楽しむためには自分でゲームをつくるしかありません.そこで、パソコンの走りであるApple IIを使って、独学でプログラミングを勉強し、ゲームを作り始めました.それを秋葉原に売りに行って、小遣いを稼いでいたわけです.そういうようなことが先程の本に書いてあります.

いろいろなゲームを作りましたが、将棋四段だったものですから、将棋ゲームに挑戦したことがあります.チェスは、非常に強いプログラムがあって、人間のチャンピオンを一回破っていますね.あのようなゲームでは、局面を評価してそれが自分にとってどれくらい良いかという「評価関数」を作ります.そして、その評価関数が最大になるような手を先読みしていくわけです.将棋の1局面は平均30手ありますから、3手先読みするためには、30×30×30通りの計算が必要です.中級者でも、中盤の仕掛けどころで約17手を読むと言われていますので、30の17乗になります.これをコンピュータにプログラムしたら、1手目を指すだけで、地球の寿命が終ってしまいます(笑).

人間は30の17乗なんて考えませんね.精々二つの選択肢で十数手いきますから、不要なものを一瞬のうちに捨てているわけです.こういうことをコンピュータにさせないと、いくら経っても、初心者以上に将棋は強くならない.そこでゼミの先生に相談したら、「冨田君、これは人工知能って分野だよ」と言われました.全通りやらないで一瞬のうちにモノを探すというのは、人間が得意とするやり方で、これを「探索」といいます.

と言われても、その当時は日本で人工知能をやっている研究室がなかったので、アメリカへ留学しました.アメリカで人工知能を研究して、しばらくは自然言語処理という分野をやっていました.実際には、英語から日本語、日本語から英語へとコンピュータに翻訳させる仕事ですが、これも難しいのです.辞書と文法があれば、直訳はできます.しかし、翻訳家がやるような翻訳をさせるには、結局、文法だけでは駄目なのです.まず文章の意味を理解してから、外国語で作文をしなければいけない.では、文章を理解するとは何かというと、単なる言葉の知識だけではなく、一般常識を含め、あらゆる知識をもっていなくてはいけない.英語を日本語に翻訳するという些細なタスクをやらせるだけでも、結局、脳と同じような知識が必要になります.特に比喩などは、直訳すると、バカみたいな訳になる(笑).「これは大変だなぁ」と、壁に突き当たった感じでした.

1980年代の中頃は人工知能がもてはやされていましたが、若手研究者仲間と飲みに行くと、「人工知能の究極の目標は、鉄腕アトムの脳を作ることなのに、いつになったらできるのだろう」という話になって、気の早い人でも、50年とか100年はかかると言っていましたし、もう無理ではないかと言う人もいました.その後、鉄腕アトムを目指して研究している人はほとんどいなくなり、人間の役に立てばいいじゃないかということで、翻訳、音声認識、画像処理、チェスといった分野に細分化していったわけです.私は、人間の知能というものを再現することに興味があったものですから、少し挫折感を覚えました.

ところが、あるとき、ふと気付いたのです.「今、地球上の至る所で、知的なシステム、すなわち人が生まれている」と.皆さんは60兆個の細胞の集合体です.それらの細胞一つ一つがお互いに助け合って、一つの知的システムになっているわけですが、驚くことに、皆さんも何十年か前は一つの細胞でした.それが、我々人工知能の学者が何年かかってもできないようなことをやっているわけです.1個の細胞が分裂を繰り返して、4、8、16、32、64、128、256と倍々に増えていきますが、64個くらいになると細胞の役割が決まり、「足になれ」とか「手になれ」というような指示がでて、足は2本、手は2本しかできません.非常に良くできたプログラムになっているわけです.これも驚きでしたが、更に驚くことがありました.

そのプログラムが最初に書いてあるのは受精卵の核の中です.そこにあるDNAに、どういうふうに分裂しろというようなことが全部書いてあるはずなのです.ところが、ヒトのような、モノスゴイ知的システムを作るためのゲノム情報量が、A、T、G、Cにして、たったの(笑)30億文字ですよ.情報学的にいうと、アルファベット1文字が2ビットですから、30億文字で1ギガバイト(GB)です.1GBというと、コンパクトディスク1枚分です.私のラップトップは80GBのハードディスクを備えていますから、その80分の1ですよ.たったそれだけの情報量で、人工知能の学者が100年かかってもできないことをやってのけている.こっちを研究するほうが速いだろうということで、思い切ってバイオの分野に足を踏み込んだのです.それも30歳を過ぎてからです.

そもそも、学生時代は生物が好きではありませんでした.当時アメリカで、コンピュータサイエンスを教えていましたが、隣に生物学科がありましたので、試しに、そこで1年生の授業を受けてみたところ、それが非常に面白かったので、嵌ってしまったということです.

当時、生物をやっていた人は、「冨田君、30億文字はとてつもない膨大な量で理解不可能だよ」と言ったのですが、自然言語処理の分野では、New York Timesの過去のデータベース全部を検索するというようなことは平気でやるわけです.それはテラ・バイトの世界ですから、1GBというのは、ほんのチョッピリなんですよ(笑).

「これをやるしかない」と決めたのは、1989年だったのですが、その頃には、「ヒトゲノム計画」が新聞の見出しにでるようになって、「2015年までにこの30億文字が読まれるだろう」と書いてありました.「2015年なら、僕はまだ現役だなぁ.じゃ、今から少し準備して、ヒトゲノムが全部分かったら、それで人の構造を解析しよう」と思って、生物科学の世界に飛び込んだわけです.

ヒトゲノムは、2001年にドラフト配列が出ましたが、実は、1995年に、人類史上初めて、一つの生物丸ごとのゲノムが読まれました.その生物は二つあって、インフルエンザ菌とマイコプラズマ菌です.マイコプラズマ菌は、地球上でゲノムが最も短い生物で、遺伝子が480個しかありません.ヒトは3万くらいですね.僕は学生達と酒を飲みながら、「これだ!」と.ヒトの設計図が手に入っても、ヒトを再現するのは非常に難しい.しかし、480個の遺伝子なら、1個1個の遺伝子の働きをプログラムして全体を走らせれば、マイコプラズマ菌がバーチャルにできるのではないか.それが電子化細胞プロジェクトの始まりです.

ところが、480個の遺伝子のうち、働きが分かっている遺伝子は半分にも満たなかったのです.そこで、127個の遺伝子からなる人工的な細胞を独自に設計しました.これは、ブドウ糖を取り込んでATPに変え、タンパク質を合成しつつ生きていくというバーチャルな細胞で、1997年に学生達とアメリカで合宿しながら作り上げました.それは細胞分裂もできない細胞ですが、コンピュータ上でブドウ糖の供給を止めると、ちゃんと餓死して死ぬのです.

そうした研究を通して、細胞に関しては、定量的なデータがほとんど存在しないということに気付きました.遺伝子の働きや相互作用などの定性的なデータは、論文に多くの記載がありますが、どのくらいの親和力でくっ付くのかとか、どのくらいのスピードでやるのかというような定量的なデータがないと、シミュレーションはできません.それで、分析化学が専門の曽我朋義さん(当時助教授)と一緒に、代謝物の量を時系列で測定する分析技術を開発して、現在に至っています.

三井:人工知能と細胞のシミュレーションを見事に融合させたお話をして下さいまして有り難うございます.ゲノムの情報量が1GBというのは気付きませんでした.

実は、2005年のカフェ・デ・サイエンスで、「脳とコンピュータ」をテーマにお話をしたことがあります.参加された方は数人いらっしゃるようですが、そのとき、どんなに頑張ってもコンピュータは大したことはできないだろうという意見と、人間ができることなら何でもできるという意見に分かれて、話が進んだように思います.また、今回の申込み時に書かれたコメントにも、「生物はどこまで機械化できるか」とか、「機械はどこまで生命に近づけるか」というのがありましたので、その辺から始めましょうか.

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Last modified 2008.02.12 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.