天野 浩 |
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[図 1]
[図 2]
[図 3]
[図 4]
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ただ今ご紹介にあずかりました、名城大の天野でございます。
[図 1]
本日は、ガリウムナイトライド、窒化ガリウム青色発光デバイスの開発現場における苦闘と情熱ということで、お話しをさせていただきます。
まず、コンテンツですけれども、最初に、なぜ私が青色発光ダイオードを研究テーマとして選んだかということ、それから、赤崎先生のお話しにもありましたけれども、青色発光ダイオードを実現するのがなぜ難しかったかということについて、お話しします。
それから、先ほどの赤崎先生のお話に続きまして、開発現場、実験室の中、クリーンルームの中でどのようなことをしていたかということで、成長装置に関すること、それから、成長方法に関すること、それから、伝導性の制御に関すること、それから、これは失敗例ですけれども、発光波長を制御するというお話しをさせていただきます。
それから、もし、時間がありましたら、現在行われている、未来にかけての苦闘について、お話しをさせていただきたいと思っております。
[図 2]
私が大学の3年生の時に、4年生で卒業研究をするための研究室の配属がありました。研究テーマを選ぶという段になり、当時私は非常にコンピュータに興味がありましたので、できればCPUの設計をやりたいと思っておりました。しかし、残念ながら当時名古屋大学には、CPUの設計、研究をしている研究室がなかったものですから、そのCPUのもとになる半導体をまず勉強しようということで、研究テーマを探していたわけです。
これは、多分私の全くの思い違いだと思いますが、当時の大学の研究というのが、我々若い人間から見ると、どうしても研究というよりも、研究のための研究、あるいは、研究費をもらうための研究、というような感じを受けてしまったんですね。あるいは、学位を取るために仕方なく研究している、というように非常にうがった見方しかできなかったんです。
[図 3]
当時、とにかく何かにチャレンジしたいと思っていた私は、赤崎先生の研究室で掲げている青色発光ダイオードというテーマを見たときに、「これだ!」、と思ったんですね。
これは、まさに、未来のための研究、研究本来の研究である直感しまして、即座に先生の研究室のお世話になったわけです。
[図 4]
簡単に、なぜ青色発光ダイオードを選んだのかということをまとめますと、まず一番大切なことは、その当時誰も成功していなかった。非常にチャレンジングなテーマであったということです。要するに自分が一番になれる可能性があるということですね。それから、テーマ自体が最終製品に近いので、非常にわかりやすかったんです。これを作ればみんなの役に立てるという気持ちがありました。これは理由もないんですが、私は、とにかく何か人の役に立つことをしたいと思っていました。そのような観点に立つと、青色発光ダイオードが最も魅力的なテーマに映ったわけです。
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