フリードリヒ・シュミット・ブレーク |
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MIPSは、単純で正しい方向性を示ス事ができる、すべての製品やサービスに対して一様に適用できるインジケータです。しかし残念なことに、市場にはインジケータがたくさんありますが、そのほとんどは、体系的でないやり方で特定の傾向しか示しません。例えば、あるサービスに対してより少ないエネルギーを使った場合の方がより多くの物質を消費するのはなぜでしょう。利用可能な電力のエコロジー的な「質」は、消費者にまったくといっていいほど示されていません、間違って解釈されることもあるのです、太陽光発電の場合のように。「自然繊維」とラベルが付けられていても、その製品がアラル海からの綿花のように環境的には全くひどいもなものであるという事実が隠されているかもしれません。また、「生物学的製品」というラベルも、その生産により生じる環境汚染についてはほとんど考慮していません。私達は、様々な理由から、エコロジー的な「質」を表すのにMIPSが妥当な方法であると確信しています。もちろん、物質の毒性に関する情報がわかっている場合にはそのことも合わせて述べられなければなりません。
サービスの「環境負荷価格」つまり、それらのMIPSは、経済活動における真の資源スループットについては何も述べていません。たとえ、すべての製品やすべてのサービスが脱物質化されたとしても、現在の経済活動における「全体的資源フロー」は依然として非常に高く、増加さえしているのです。私達は、これを「リバウンド」効果あるいは「ブーメラン」効果と呼ぶ場合があります。日本や他の国々の関係者の皆さんと共同で、日本、ドイツ、アメリカ、オランダ、ベトナム等の国々の全体的資源フローを計算しました。おどろくべきことに、OECD諸国の人々は、毎年、復元不可能な自然資源を40トンから70トン消費する傾向にあり、それに比べて、例えば、ベトナムの人たちは2トンしか消費しないのです。
これに関しては、2つの質問に答えなければなりません。ひとつは、環境の維続可能性の条件を満たすために世界的に求められる脱物質化とは何か。第二に、どうして西欧諸国は、最小限の自然資源インプットで運営されないのかということです、理想的な市場条件の下では当然そうなるはずなのに。
まず、「キャリヤー容量(carrier capacity)」と呼ばれる問題を見てみましょう。地球の生態圏から得られる置き換え不可能なサービスを破壊することなく、地球の自然資源を使うための環境的限界はどこにあるのでしょう?これは誰にも分かりません。また、確かな数値を導き出すということはほとんど不可能でしょう。生態圏は非線形の複雑なシステムであり、そして人間社会の経済も非線形で複雑なシステムであるからです。それらの相互関係は数学的な答えを見つけるには複雑すぎるのです。しかし、いくつかの観点から、私は、自然資源の現在の使用を、世界的に平均で最低でも2分の1に減らす必要があると提案するに至りました。そしてこれは、最初のアプローチとして広く受け入れられています。
しかし、公平さというのもさらなる課題です。現在、世界で20%の豊かな人々が、80%以上の自然資源を消費しているのです。この地球の80%もの貧しい人々が、OECD諸国で私達が享受しているような物質的繁栄を得ようと苦闘しているのです。このことは、私達が私達の消費を2分の1に縮小するだけでなく、貧しい国々が発展ための環境的余裕を残すために、私達の消費を10分の1の規模に削減する必要があることを意味します。
ここで私が今日話さなければならないと思っている経済面についてお話しましょう。
世界経済が、資源を最も効率的に利用せず、持続可能性の要求からのがれようとしているのはなぜでしょう?この疑問に対する単純な答えはこうです。「なぜなら市場における価格シグナルが、様々な制限を乗越えて資源の節約をしても会計的にはちっとも魅力的でない事を示しているからです。自然資源は非常に安価なのに、労働費は非常に高いので、すべての経済活動におけるコスト削減は、労働力を節減して、人間に置き換わる機械を購入することにより最も効率的に達成されるのです。これこそが、産業界で毎日行われていることであり、株式市場はそのようなトレンドに「拍手」しているのです。そして、工業化された諸国におけるすべての政府、教会、銀行、労働組合、そして、すべての家庭でも同じことが行われています。
このことは、製品やサービスが、本来そうである以上に資源的に非効率であるばかりでなく、人間の労働力と置き換えるために、毎日自然資源が追加消費されていることも意味します。考え方によっては、失業問題と環境破壊はその源が同じなのです。つまり、その源は、間違った方向に誘導された経済です。 |
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