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講師: |
大島泰郎(おおしま・たいろう) |
ゲスト講師: |
斎藤成也(さいとう・なるや) |
日時: |
2008年3月29日 |
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異端児のみる生命 「生物進化」 |
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三井:傍の新宿御苑は、お花見で大変な人出ですが、カフェ・デ・サイエンスへようこそ.
今日は「生物進化」がテーマだということで、ゲスト講師として、斎藤さんに来て頂きました.今年は、遺伝学者の木村資生さんが「中立進化論」を唱えてから、40年目にあたるそうです.斎藤さんは、自称、バリバリの中立論者ですので、読売新聞からの取材があり、そのインタビュー記事が2月17日に掲載されています.
今日のテーマに関する皆さんの興味は、参加申込みのときに書いて下さったコメントを拝見しますと、大きく二つに分けられるのではないかと思います.一つは、「進化」というものをどのように考えるか.もう一つは、人間がどこから来たのか、将来どうなるのか、といった人間に対する興味です.ゴーギャンの有名な絵のタイトルにもなっていますね.(絵のコピーを回覧)
では、最初に斎藤さんから、続いて大島さんに、口火となるようなお話をして頂こうと思います.その後で5-10分程度の休憩をとり、後は最後まで一気にお話を進めたいと思いますので、よろしくお願い致します.
斎藤:国立遺伝学研究所の斎藤と申します.ギャラリーでは、私の絵の個展もやっておりますので、後で是非ご覧下さい.今日で開催3日目ですが、まだ30名くらいしか来ていないので、今日は非常に嬉しく思っております.
私は、子供の頃から、「自分とは何か」ということを考えてきました.自分と世界は同じですから、「この世とは何か」ということでもありますが、それで研究者になってしまいました.私の書いた本を読んだ従兄から、「子供の頃は誰でもそう考えるけど、今だに考え続けているんだね」と皮肉っぽく言われまして、「まだ、子供なんだなぁ」と思っている、そういう人間でございます.
自然科学との係りでは、小学生の時に、「物質というのは、中がほとんど空っぽだ」ということに衝撃を受けました.これは、ラザフォード(Ernest Rutherford, 1871-1937)の原子モデルのことです.その後、1953年にワトソン・クリックのDNAの二重らせん構造が発表されて、その10年後には遺伝暗号が分かってきましたが、私が中学生だった1970年頃、一般向けに翻訳されたタイムライフ・シリーズというのがありました.それを図書館で見つけて読んだのですが、「生物というのはモノなのだ」と思いました.子供というのは、ある意味で唯物論者だと思いますが、その時、漠然と生物学の研究をしたいと思ったことが、今日にまで至っております.
2005年に、筑摩書房から、「DNAから見た日本人」(ちくま新書)という本を出しまして、この分野の専門家ということになっていますが、実は、日本人にはあまり興味がありません.興味がないのに本を書いたのは申し訳ないのですが、人類学という分野に仕方なく長く居たという経緯があります.私の師匠は、今もアメリカの大学におられる根井正利(1931-)先生で、私は、中立進化論の勉強がしたくて、アメリカへ留学し、4年間お世話になりました.今日は、そういうようなことをお話できればと思います.
三井:斎藤さんは、たくさんの本を書いていらっしゃいますが、そのなかで、私たちにちょうどいいかなと思われたのが、この「DNAから見た日本人」という本で、非常に歯切れ良く書かれています.日本人には興味がないと仰りながら、日本人が将来どうなるかというところまで書いていらっしゃいます.では、大島さんにお願いします.
大島:大島でございます.今日は風邪をひいていて声が悪いのですが、いつもはもう少し良い声をしています(笑).今回も、質問の大部分は斎藤さんのほうに集中して、私は、やりとりを楽しんでいればいいのだと思って参りました.
研究者のなかには、別の職業でもプロ並みという方がおられますが、それでも、プロ並みというのは珍しいですね.今思いついたのは、ロシアのボロディン(Alexander Borodin, 1833-1887)です.彼は作曲家として有名ですが、本職は化学の先生です.それから、アインシュタインは、来日した時に、帝国劇場でバイオリンのリサイタルを開いたという記録がありますから、やはり、プロ並みだったのだろうと思います.斎藤さんの絵は、サッと見ただけですが、何となく、色盲の検査紙みたいだなと(笑).後で、ゆっくり楽しませてもらおうと思っています.
今日のテーマに関する皆さんからの質問は、二つの点に集中するのではないかと予想していました.実際にそうしたコメントも頂いているようですが、一つは、「進化」という言葉が、「進歩」という概念を含んでいるせいか、常に問題だったということがあります.ですから、中立説というと、「中立」と「進化」は相容れない言葉のような捉えられ方をされている方もあるかと思います.もう一つの「ヒトの進化」、なかでも、日本人の進化には非常に関心があると思います.先程の本でも紹介されましたように、斎藤さんは、その専門家でもあります.本を書いた以上は、本人は嫌でも、専門家ですから(笑).
私は、個人的にも、また自分の研究の上でも、「進化」に関心があります.特に好きなのは、進化を絡めて生化学を考える、「進化生化学」という分野です.そこではどのようなことが言えるかという例をお話しましょう.
セリンプロテアーゼという名前で総称されている酵素があります.土やドブの中に棲んでいる最下等の生物であるバクテリアが、周りにあるものを消化して取込むための酵素の一つで、タンパク質を分解する酵素です.セリンというアミノ酸が非常に大事な働きをしていますので、その名前が付いています.あらゆる生物が持っていますので、生命の起源と同じくらい古い酵素だと思われます.バクテリアは、その酵素をタンパク質の分解だけに使っていますが、ヒトまで受け継いでくる間に、いろいろな目的に使われるようになりました.元の構造に少し手を加えるだけで、全く別の役割をもつようになったわけです.
たとえば、昆虫が羽化するとき、蛹を溶かすのも、セリンプロテアーゼの働きです.また、我々が怪我をして血が出ると、血液凝固反応が起りますが、この反応には何段階もの複雑な手続きが必要です.セリンプロテアーゼは、その各段階で働いています.それから、脳が働くときもセリンプロテアーゼが大事な働きをしています.最近有名になった毒入り餃子事件の毒物は、セリンプロテアーゼの働きを止める薬で、羽アリ退治に使われる薬も同じタイプの薬です.虫だけでなく、我々の神経系もやられてしまうので、猛毒物質になるわけです.
このように、いろいろなところで、何回も同じものを使う.要するに、進化を通して、新しいものを作り出したことはなくて、少しずつの改良を重ねて、人間という機械を作ってきたのではないかと思っています.
また、そういう進化のなかで技術が生まれてくるということもあります.昆虫の神経系で働いているセリンプロテアーゼは、我々の脳で働いているセリンプロテアーゼと僅かに構造が違います.その僅かな構造の違いが、殺虫剤のような、ヒトには比較的安全な薬を作り出す余地をつくっています.このように、生化学の目から見た進化は、とても面白い現象だと思っていて、このようなサイエンスカフェには、是非とも進化の専門家をお呼びしたいと考えていました.是非、集中的に、斎藤さんに質問をして下さい.
三井:中立説について、先程ご紹介した読売新聞に面白いことが書いてあります.中立説の提唱者である木村資生さんが好んで使った例えだそうです.「自然淘汰というのは、最高級のウイスキーだけを飲んで、安物は捨てる.中立説は、毒でなければ何でも飲む.」
M:「中立説」とはどのような説ですか.
三井:ウイスキーだけでは足りませんでしたか・・・.
斎藤:「偶然」というのが、非常に大きな要素です.私たちがもっている遺伝子は、父方と母方からきたものですが、どちらのどの遺伝子が伝わるかは、全くの偶然です.男性は精子、女性は卵が作られるときに、二つある遺伝子のどちらかが選ばれるわけですが、その確率は50%です.もう一つの大きな偶然は、突然変異です.こうした偶然の影響が、生物進化上、非常に重要だというのが、中立進化論の主張です.私は、「バリバリ」というより、「ガチガチ」の中立論者なので、進化における偶然の影響は99%くらいを占めると思っています.
それに対して、ダーウィンから始まった自然淘汰の考え方は、まだ多くの人に受け入れられていて、私は、非常に悔しいのですが、突然変異は認めても、産まれた子供の数が多ければ、それは良い変異で、改良されたと考える.つまり、改良に改良を重ねた良い遺伝子が残っていくというのがダーウィンの自然淘汰の考え方です.
私は高校生の時から、進化論に関する本をいろいろ読みながら、「何かおかしい」と思っていましたので、中立進化論の「偶然」に飛びつきました.ただ、偶然というのは、ある意味で、解釈や説明を拒否するわけです.それは、因果法則のようなものを重要視する人々にとって、非常に心理的な抵抗があると思います.それが未だに受け入れられない理由だと考えています.
三井:ここで少し休憩をとります.
(休憩)
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