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第17回レポート
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第17回リーフレット

第17回 カフェ・デ・サイエンス


講師:  大島泰郎(おおしま・たいろう)
ゲスト講師:  竹田美文(たけだ・よしふみ)
日時:  2008年1月26日



異端児のみる生命 「微生物は敵か味方か」 BACK NEXT

三井:今日は「微生物は敵か味方か」というテーマでお話を進めたいと思います.ゲスト講師として、国立感染症研究所の所長をされていた竹田美文さんに来て頂きました.竹田さんは感染症と闘う側ですから、「敵」は竹田さん、「味方」は大島さんの役割だろうと思ったのですが(笑).敵か味方かどちらか一方に決めつけろというふうにもとれますが、敵でも味方でもないというお話も出てくるのではないかと思われます.そこで、今日は、微生物について全体的なお話を、先ず、大島さんにして頂こうと思います.続いて、竹田さんに、自己紹介を兼ねて、ご自身の守備範囲のことを、お話して頂きます.そこで、一旦、休憩をとります.その間に、みなさんには、何をお話したいかを考えて頂き、後は一気呵成に最後迄まで行きたいと思います.それでは、大島さんから、お願いします.

大島:明けましておめでとうございます.

微生物全体についてお話するのは大変ですから、いつものように、私が微生物を好きな理由をお話することにします.人間に関係がある微生物のほうは、全て、竹田先生にお願いします.

私が微生物を材料にした研究をしているのは、量子力学が水素原子を対象にして成功したように、調べたいもののなかで一番単純なものを対象にするのは常套手段だからです.以前にもお話しましたが、生物を材料に研究している人には、「大腸菌でできることは象でもできる」という信念があります.ケチなバクテリアだって、好きな光の方に寄って行くし、嫌いな光から逃げる.地球上にはいろいろな種類の生物がいますけれど、そのほとんどの生物がもっている特徴的な生物反応の基本になる現象は、どれかの微生物の中に見つけることができます.

もう一つの理由は、血を見るのが嫌いだからです(笑).血が出るものは下等動物でも好きではありません.微生物なら何匹殺しても平気な顔をしていられるというのが正直な理由です.

微生物は、大昔から生活の中で使われてきましたが、それが微生物だということに気が付きませんでした.同じ近代自然科学の中でも、天文学や物理学のように早くから始まった学問に比べると、生物に関する学問はかなり遅いのですが、その中でも、微生物は目に見えないものですから、気が付かなかった.パスツール(Louis Pasteur, 1822-1895)とリービッヒ(Justus von Liebig, 1803-1873)が、アルコールを作るのは生き物の力かどうかという論争したのが150年前です.

このように、微生物学は、長い伝統をもった学問分野とは違って、日本が近代化を始めた頃にやっと興ったので、微生物学史には、野口英世(1876-1928)や北里柴三郎(1853-1931)といった、創始者に匹敵する功績を残した日本人が数多くいます.それにしても、野口英世という人は借金を踏み倒したにもかかわらず、お札の顔にするとは非常に切ないことですが、あれは、世界に冠たる大蔵官僚のブラックジョークではないかと思っています.(笑)

微生物は食品とも密接な関係があって、発酵食品をつくります.お酒をつくる.納豆をつくる.生物反応を利用したテクノロジーにも関係していて、そこにも関心があります.

今日ゲストとしてお招きした竹田先生は、お忙しい方で、今朝、岡山から来られたそうですが、私は、昨夕、熊本から戻ってきました.実は、水前寺公園に、バクテリアの食品が売られています(水前寺海苔).バクテリアをそのまま食品として食べるのは、世界的にも例がないのではないかと思います.浅草海苔は高等な生物ですが、水前寺海苔はシアノバクテリア(藍色細菌)という細菌の仲間です.

熊本での学会が始まる前、朝8時半に水前寺公園が開くというので出かけたのですが、土産物屋はまだ閉まっていました.寒い中を9時近くまで待って、開いたばかりの店へ入ったのですが、お店の棚にはありませんでした.そのバクテリアは、清浄な阿蘇の地下水といった、きれいな水でないと育たないので、この頃はとれないのだそうです.それを買うためにわざわざ来たと言うと、隠し持っていた生のものを、一袋だけ、店の奥から出してきてくれました.乾燥したものはあるのですが、生は保存状態が難しいうえに、最近は賞味期限がうるさいから、表の棚には出していないと言っていました.

もう一つ、微生物には大きな役割があります.地球上ではいろいろな物質が循環しています.我々の吐き出した二酸化炭素は、海や陸地の植物に取込まれて、また有機物になって戻ってくる.しかし、地球上に何種類の生物がいようとも、環境に係って物質を動かしているのは、人間と微生物だけです.犬や猫はほとんど何にも寄与していない.そのかわりに悪いこともしていない(笑).壊すにしろ直すにしろ、環境の面からも、微生物は面白いし重要だと思っています.

三井:続いて、いろいろな感染症を研究をしておられる竹田さんにお話して頂こうと思います.

竹田:大島先生から「手伝って欲しい」と言われたのは、去年の5、6月頃ではなかったかと思います.気楽に承諾してしまいましたが、いつものようにスライドを使って講演するものだとばかり思っていました.スライドならたくさんありますから、1時間でも2時間でも話す材料があります(笑).私は去年の7月からインドへ行っていましたから、大島先生とはメールのやりとりだけです.そのうち、少し様子が違うことに気付きましたが、ホームページを見たのは2週間程前のことで、これは大変だと、今日は、一寸ビビっています.(笑)

今日のテーマは「微生物は敵か味方か」ですが、この席には、頼もしい私の味方に来て頂いています.先ず、国立感染症研究所の宮村達男所長です.私の分からないことは全てお願いしたいと思います.また、私が以前に勤めていた実践女子大学で一緒に仕事をした方達も来ていますので、食物に関することはお任せしてもいいかなと考えています.

私は、あくまでも「敵」の話をすることになります.病原微生物を最初に研究した人は、ルイ・パスツールですが、彼の最初の仕事は、自然発生説の否定です.それ以前は、微生物は自然に発生すると考えられていました.私も結核に罹りましたが、自然発生説によれば、「心がけが悪い人の肺の中に結核菌がウジャウジャと自然に発生した」のが結核になるわけです(笑).パスツールは、肉汁を十分に加熱して綿栓をしておくと、いつまで経っても菌が生えない、すなわち、腐らないということを示しました.「腐る」というのは、「微生物が増殖する」ということで、食物が腐るのも、金属腐食も、山の中の枯葉が無くなるのも、動物の屍骸が無くなるのも、全て微生物のせいです.「頭が腐っている!」というのは、微生物と関係ありません(笑).パスツールは、加熱した肉汁が腐らないことを示したのですが、綿栓をしていたので、反対論者は、空気が入らないから自然発生しないのだと言いました.そこで、パスツールは、フラスコの首を白鳥の首のように引っ張って曲げ、その先端は封をしないで、空気が十分に通じる状態にして、それでも、長期間腐敗しないということを発表しました.1861年のことだったと思います.その後、次々と病原菌が発見されるようになりましたが、最も有名なのは、1882年の、ロベルト・コッホ(Robert Koch, 1843-1910)による結核菌の発見ですね.

ところで、病気を起こす微生物は、今、世界中に何種類いると思われますか.その前に、地球上には何種類の微生物がいるのでしょうか.大島先生は何種類くらいだとお考えになりますか.

大島:自然界に存在する微生物の1%しか分かっていないとすれば、種類は億のオーダーになると思いますが、それも人によって非常に幅があって、実際には1,000分の1しか分かっていないという人もいます.

竹田:それだけいる微生物のなかで、分かっている病原微生物は200種類にもならないと思います.我が国の感染症法(正式には「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」)が新たに施行されたのは平成11年ですが、そこに載っているのは、85、6種類です.病原微生物の歴史は高々130年程度ですが、その間、我々病原微生物の研究者は一所懸命やってきたと思います.それでも、僅か100種類の菌にアタフタしています.そのなかで病気のメカニズムや治療法が分かっているのは、10にも満たないのではないでしょうか.

病原微生物の研究では、明治の学者は非常に偉かったと思います.ロベルト・コッホが結核菌の発見を報告したのは1882年3月ですが、その年の6月に、現在の東京大学医学部で、お雇い外国人学者のベルツ(Erwin Balz, 1849-1913)が、結核菌の発見について講義をしたという記録が残っています.北里柴三郎は、熊本医学校から東京医学校(東京帝国大学になったのは1897年)へ進み、卒業後は内務省衛生局に勤めていました.内務省によって、急遽、コッホのところへ派遣された北里ですが、足掛け7年の間に、大変な研究をしています.破傷風菌の純培養.ジフテリアと破傷風の抗血清療法.特に、1890年にDeutsche Medizinische Wochenschrift(ドイツ医学週報)という雑誌に発表した"Ueber das Zustandekommen der Diphtherie-Immunitat und der Tetanus-Immunitat bei Thieren(動物におけるジフテリアと破傷風の免疫発動について)"という論文は、血清療法の最初の論文で、ここには、Tokioから来た北里が破傷風を、ベーリング(Emil Adolf von Behring, 1854-1917)がジフテリアを受け持ったということが明記されていて、全体の3分の2くらいは、破傷風について書かれています.この論文は、1901年のノーベル生理学・医学賞をもらうことになったベーリングの受賞論文なのですが、何故、北里がノーベル賞をもらえなかったのか.これは私達の不満になっています.1901年というと、日清戦争と日露戦争の間ですが、日露戦争の後であれば、ベーリングと共に、北里は確実に最初のノーベル賞をもらっていたと思います.それ程立派な仕事をしています.

他にも、秦佐八郎(1873-1938)が、当時のヨーロッパで大きな問題になっていた梅毒の治療薬「サルバルサン606号」を開発しています.脳梅毒は、最後は頭が狂って死ぬ病気です.文学者や画家のなかで、明らかに脳梅毒だという人が何人かいます.そして、志賀潔(1871-1957)は赤痢菌の発見者ですね.

野口英世は、結婚詐欺もしていますね(笑).渡辺淳一の『遠き落日』には、詐欺罪で訴えられそうなことが書いてありますが、科学者としての業績は大変なものです.脳梅毒の原因は梅毒スピロヘータだと証明したことによって、大正4年(1915)に帝国学士院賞(恩賜賞)を受賞しています.東京帝国大学の卒業生以外で帝国学士院賞をもらったのは、彼が最初だと思います.

明治の細菌学者に比べて、今の我々は何をしているのかと思われるかもしれませんね.(笑)

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Last modified 2008.04.01 Copyright(c)2005 The Takeda Foundation. The Official Web Site of The Takeda Foundation.