三井: 始まる前から盛り上がっておりますが、そろそろ始めたいと思います.皆様、ようこそいらしてくださいました.今回からしばらく化学をテーマにしたいと思います.ご案内には、「化学X数学」と、化学と数学の間に掛け算の記号が書いてあります.つまり、化学と数学を二つ並べているだけではないということで、敢えて、掛け算の記号を使うことにしました.

今日、専門家として来てくださっているのは細矢治夫さんです.後で自己紹介をしてくださると思いますが、私の知る限りで少しご紹介します.細矢さんは数理化学者です.あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、英語では、Mathematical Chemistと言います.化学者というと、映画などでは、色の付いた液体の入った丸や三角のフラスコが実験台の上に並べてあって、それが沸騰していたり煙が出ていたりする傍で、試験管を振り回しているというのが、その典型なのですが、細矢さんは、そういう類の器具を一切お使いになりません.お使いになるのは、頭とコンピュータ.もっとも、ガラス器具にもコンピュータにもシリカが使われているという点では同じですけれど.

お茶の水女子大学のホームページには、細矢さんがどういう活動をしていらっしゃるかというのが、7つ程の項目を挙げて、紹介されています.その項目の中に、「日本人の科学リテラシー向上へのアピール」というのがありました.つまり、科学と技術の正しい理解の必要性を説いていらっしゃるのです.これは、正にカフェ・デ・サイエンスの真髄です.もう一つは、今日のテーマと関係しますが、「化学の中の数理の重要性をアピール」.ウェブサイトには、「化学者へのアピール」と書いてありますが、化学者に限らず、もっと広くアピールしてもいいわけですね.

細矢: 先ず、化学者からやってみましょうということです.

三井: ということで、「化学X数学」シリーズの第一回は、フラーレンを採り上げることになりました.今年は「国際化学年」ということで、Nature1月6日号の表紙には、フラーレンの絵が描かれていて、象徴的な感じがしたのですが、そのフラーレンのお話をこれからしていただきます.ご承知のように、この会は講演会ではありませんし、パワポもOHPも使ってはいけません.専門用語も使ってはいけません.前に講師で来てくださった方が、ある雑誌に、「ピストルも刀も取り上げられて、丸腰で闘えと言われているような心境だった」と書いていらっしゃいましたが、細矢さんは、今、いかがですか.

細矢: おもちゃをいっぱい持ってきましたから、大丈夫ですよ.(笑)

三井: その方は、それでも非常に楽しかったし面白かったと言ってくださったのですが、今日もそういう会になりますように、皆様、どうぞよろしくお願いいたします.では、最初に、15分くらい、細矢さんにお話をしていただきます.

細矢: 細矢です.実は、この会場の入口にあった看板に書かれていた私の名前が「細谷」になっていましたので、ちょっと機嫌が悪いのです.日本人の苗字の9割は、農耕民族を表す「野」や「田」、あるいは「谷」などの文字が付いていますが、騎馬民族を表す「矢」のような文字が付いた苗字は僅かです.だから「細谷」と書かれると、矢で射られて谷底へ落ちるようで(笑).学生がこのような間違いをしたら、非常に悪い点をつけます(笑).他の大学へ講師で行くときも、最初に、「細谷」と書かれると機嫌が悪くなるという話をするのですが、それでも、多くの学生の中には、「細谷」と書くのがいるのですね.まぁ、そういうことで、私の名前は覚えてください.

僕は7月生まれで、ついこの間、後期高齢者になりました.健康保健の証明書も持っています.それから、お茶の水女子大学名誉教授の証明書も持っています.9年前にお茶大を辞めたときは、理学部の情報科学科に所属していました.その学科は20年弱前に作ったのですが、それまでは化学科にいました.

数理化学(Mathematical Chemistry)というのは、世界中の大学でも授業科目になっているところは、ほとんどないと思います.私も、数理化学の授業をお茶大でやりたかったのですが、学科としては認めてもらえませんでした.このように、Mathematical Chemistryは広く一般に認知されているわけではありませんが、2005年にInternational Academy of Mathematical Chemistry(IAMC)が設立されました.私はその創設者の一人でもあります.

化学が付いた学科は、応用化学、工業化学、生物化学など、いろいろありますが、そういう学科に入学したばかりの学生達は数学が好きだったはずです.そうでなければ、理工系には入らないでしょう.ところが、入って2年くらいの間に、7、8割の学生は数学が嫌いになったり、苦手になったりしまいます.きちんとした統計はとっていませんが、もっといるかもしれません.大学の数学の先生の授業が悪いからかもしれません.(笑)

僕は、9年前にお茶大を退職した後も、論文はずっと書き続けています.そのほとんどは数学の論文です.化学の論文はポツンポツンとしか書いていません.僕の専売特許であるトポロジカル・インデックスというのが数学の整数論に役立つということが分かっていますので、そういうことに関して、お茶大の紀要に論文を書いているわけです.

その他にも、共立出版から、『数学のかんどころ』という大学生向けのシリーズ本が、早ければ今年の暮れ、来年の春には必ず出ると思いますが、その6冊目に、「ピタゴラス数とその数理」というタイトルで書いています.また、トポロジカル・インデックスに関して、日本評論社に原稿を送ってありますので、やはり、来年の春には論文が出るだろうと思います.それから、講談社のブルーバックスには、三角形の秘密というのを書き始めています.

そういうことで、数学をやっている人のことも分かっているつもりですが、実際に、化学をやっている人の多くは数学が嫌いですし、そういう化学者がバカにされることが多いことも事実です.

イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)は、「自然科学の中では、数学に近いものほどレベルが高い.化学は数学に最も遠いから一番下である」というふうに断言しています.そういう考えを受け継いでいる物理学者は現代でもたくさんいます.

ところが、化学者自身は気が付いていないようですが、化学には多くの数学が係っているのです.例えば、化学者が炭化水素の異性体の数え上げに苦心していたときに、ポリア(George Pólya, 1887-1985)という有名な数学者は、グラフ理論の数え上げ多項式という概念を作りました.それは現代の化学にとって主要な道具になっています.ところが、そういうことを知っている化学者は非常に少ないのです.

また、量子力学が誕生したのは1926年頃ですが、その化学への応用は、大勢の物理学者と少数の化学者が一緒になって、群論を使って行われました.そこに数学者はほとんど寄与していません.化学で最もよく使われる群論は点群です.例えば、フラーレンのような多面体がどのような対称性を持っているかを数学的に処理するときのベースは、物理学者が中心になって作った点群なのです.

私は、『数学セミナー』(日本評論社)に、最近は頻繁に記事を書いているのですが、編集者は数学出の人がほとんどですけれど、点群のことは知らないと言います.大学の数学科では、群論は教えても、点群については、その名前も出していないのではないでしょうか.

今日は、フラーレンを例にして、化学と数学の相性について考えます.僕が作った分子モデルを、皆さんに回しますから、見てください.最初に発見されたフラーレンは、分子式がC60で、60個の炭素がサッカーボールのような形になった分子です.約25年前に、イギリス人のクロトー(Sir Harold W. Kroto, 1939-)とアメリカ人のスモリー(Richard E. Smalley, 1943-2005)によって発見されました.そのときはC60だということことしか分かっていませんでした.サッカーボールのような形だというのは彼らの直感に過ぎなかったわけです.

多面体の性質を詳細に解明するには、数学的な裏付けが必要です.しかし、フラーレンに関してそれを解明したのは、数学者ではなくて、化学者なのです.そういうことを知っているのは、それをやっている一部の化学者だけで、大部分の化学者は知りません.私は、化学者が数学を駆使して頑張っているということを、様々な機会を捉えて宣伝しています.今回のお話をお受けしたのも、そういう下心があるからです.

ここからは、皆さんからの質問などに応えていきたいと思います.

三井: 例によって、皆さんが申込のときに書いてくださった疑問やコメントをご紹介しようと思います.先ず、どうしてサッカーボールのような形が自然にできたのかというご質問がありましたけれど、もっともな疑問だと思います.フラーレンは宇宙空間にも存在しているわけですね.ケイ素の原子価も、炭素と同じ4価ですが、ケイ素ではこういうものができないのでしょうか.

細矢: ケイ素で作ろうとしている人はたくさんいますが、たぶん、できないでしょうね.どうしてできないかというのは、量子力学的な理由です.それを説明するのは難しいですね.

三井: できないものはできないと言うしかありませんね(笑).フラーレンの形を詳しく知りたいというご質問もありますが、どうしましょうか.

細矢: 詳しく説明したほうが良いと思います.皆さんにお配りした資料の中に裸眼立体視用の図があります.裸眼立体視というのはフィルターなどの特別な器具を使用しないで、肉眼で2枚の絵を三次元的に見る方法です.裸眼立体視ができる人は手を上げてください(2割くらい?).最初のトレーニングをすれば、7、8割の人は見えるようになると思いますが、先ず、必死に見ようとしない.

三井: 夢見るような目つきが良いようです.(笑)

細矢: ただし、世の中の1割くらいの人は、立体的には見えるのですが、他の人とは違って見えます.例えば、飛行機から少し距離を置いて撮った2枚の富士山の写真を立体視しようとすると、すり鉢状に見えてしまいます.それは生まれつきで、右目で左の図を、左目で右の図を見ているためなのですが、大抵の人は、右目では右の図を、左目で左の図を見るという平行立体視をしています.

では、立体視のトレーニングとして、先ず、人差し指を2本、7、8センチ離して目の前に置いてください.それを前後させながらボーッと見ていると、ソーセージのように繋がって見えるところがあります.それが裸眼立体視のできる始めです.ソーセージのように見えたという人は手を上げてください.ほら、7、8割くらいになりましたね.

裸眼立体視用の図の一番上にある図では、立方体の中に正四面体が入っています.ボーッと見ると、2つの絵が3つの絵になります.その真ん中の絵が立体的に見えるのですが、もう見えている人がいると思います.上から2番目の絵は正八面体のスケルトン、三番目の絵は正十二面体で、五角形が12枚集まっている正多面体です.その次が正二十面体で、正三角形が20枚.その次の図は菱形十二面体と言います.一番難しいのが一番下にある図で、右と左で図柄が全然違いますが、頑張って見ていると、やがて三次元的にサッカーボールが見えてくるはずです.

サッカーボールは別にして、一つでも立体的に見えたという人は手を上げてみてください.どれも見えないという人がいますね(笑).大勢の人が見えているのに、自分だけ見えないのは悔しいと思わなければいけません.そう思うと、突然見えます.(笑)

三井: もう一つのやり方は、一度ペターッと顔をくっ付けてから、少しずつ離していくというものですが、そうすると、どこかでパッと見えるときがあります.

A: 最後の絵のように、互いに全く違うものが、なぜ立体視できるのですか.(笑)

細矢: 見えた人は手を上げてください(かなりいます!).「なぜ」って、聞かないでよ.(笑)

三井: 物理学者は、「なぜ」という質問には絶対に答えません.(笑)

細矢: これは立体視の図にあった正二十面体の模型です.どの頂点にも5枚の正三角形が集まっています.また、たくさんの辺がありますが、その辺を三等分して、その点と点を結んだ線を引きます.そこで頂点部分を切り落としますと、切った面は正五角形になり、20枚の正三角形は全て正六角形になるのです.つまり、正五角形が12枚、正六角形が20枚のサッカーボールができ上がります.サッカーボールのスタートは正二十面体なのです.

この模型は、約20年前に放送大学の講師をしたときに、そのディレクターが作ってくれたものです.授業が終わった後、これが欲しくなって(笑)、「もらえないか」と言うと、「原則としてはあげられませんので、お貸しします」と(笑).その人の名前は「細谷」でした(笑).今では、放送大学へ返しに行っても引き取る人はいないでしょう.

配布資料の正多面体と準正多面体の関係図を見てください.一番上に五種類の正多面体が描いてあります.正四面体には33と書いてありますが、これは、どの頂点にも正三角形が3枚あるということを表しています.立方体は43で、どの頂点にも正方形が3つ集まっていますし、正八面体は34で、全ての頂点に正三角形が4枚あります.正十二面体は53ですから、どの頂点にも正五角形が3枚.正二十面体は35で、どの頂点にも正三角形が5枚集まっています.

立方体と正八面体の間に"F"と書いてありますが、これは「面心切り」の意味です.つまり、各面の中心(面心)に点を打ち、それを結んで切り落とすと、面の中心が頂点になって、立方体は正八面体に、正八面体は立方体になります.正十二面体と正二十面体でも、面心切りで互いの形になることができます.ところが、正四面体だけは、面心切りで自分自身に戻ってしまいます.

矢印に"E"と書いてあるのは、辺の中点(辺心)を結んで切り落とす「辺心切り」のことです.立方体では、12本ある辺の中心を結んで切り落としますと、正方形は面積が半分の正方形になり、頂点のところは三角形になって、立方八面体ができます.立方八面体の数学的な記号は (3,4)2 、つまり、頂点には三角形と四角形が交互に二つずつ集まります.正八面体からも辺心切りで同じものができます.

正二十面体の下に伸びる矢印には、"T(truncation)"とありますが、これは「角切り」のことで、先に述べたように、サッカーボールは正二十面体の角を全部落とした角切り正二十面体と同じです.角切りのことを、かつては「切頭」と言ったのですが、それは残酷だということで、今は使いません.使いたい人は使ってもかまいませんが、本などに書くと、変えさせられると思います.

これで、フラーレンの形が分からないという人はもういないと思いますね.

三井: 『ナノカーボンの科学』(篠原久典著、講談社ブルーバックス)という本は、2008年に出たものですが、「切頭」になっています.

細矢: その本は、篠原久典さん(名古屋大学教授、1953-)というフラーレン・ケミストリーで有名な人が書いた本です.ついでに、これは、私が書いた『化学をつかむ』(岩波ジュニア新書)という本です.

三井: 『化学をつかむ』という本は1983年に出たもので、もう絶版になっています.アマゾンにも新品はなくて、古本だけです.値段が3倍近くも高くなっています.(笑)

細矢: クロトーとスモリーがサッカーボールを見つけたのが1985年ですから、この本が出たのは、その2年前ということになりますが、この中にもサッカーボールのことが書いてあります.それは、もちろん、C60ではありません.ホウ素(B)は大きな結晶をつくりますが、その結晶の中のある部分を繋いでいくと、サッカーボールの形になるのです.そういうことは、既に化学者が見つけていたわけです.ただし、B60という分子があるわけではありません.本の表紙になっているサッカーボールは茶封筒で作っています.1983年頃は色の付いた封筒などは売られていなかったのですが、写真屋さんのおかげでカラフルな色彩に仕上がっています.中にはサッカーボールの作り方も書いてあります.

三井: 大澤映二さん(株式会社 ナノ炭素研究所 取締役社長)は、1970年頃にサッカーボールの存在を予言していたのですね.

細矢: サッカーボールの論文が出たのは1985年で、クロトーとスモリー、その仲立ちをしたカール(Robert F. Curl, Jr., 1933-)の3人がノーベル賞をもらっています.実際に実験をやったのは大学院生なのですが、その人達はノーベル賞をもらえませんでした.

大澤映二という人は、有機合成のエキスパートです.京都大学を出てアメリカに留学しましたが、留学から帰ってきても、京大にはポストが無くてブラブラしていたとき、吉田善一(京都大学名誉教授、1925-)という先生が、自分の小遣いまでやって、大澤さんを大学で養っていたのです.予言をしたのはその頃のことです.僕らが小さい頃に遊んでいたサッカーのボールはバレーボールのようなものでした.現在のサッカーボールが公式に採用されたのは、1970年に開催されたワールドカップ・メキシコ大会からなのです.そのボールを見て、大澤さんは閃きました.そして、「C60という分子があってもおかしくない」と随筆に書いたわけです.

三井: 1970年9月号の『化学』(化学同人)という雑誌ですね.

細矢: 雑誌にも書きましたが、本にも書いています.『化学』には「超芳香族」というタイトルで書いています.翌年には、吉田善一さんとの共著で、『芳香族性』(化学同人)という本も出しています.

三井: 他の論文は全て英語で書いているのに、サッカーボールに関することだけ、日本語で書いているのですね.

細矢: その理由は、大澤さんが有機合成のエキスパートだったからだと思います.サッカーボール型のC60を合成するにはものすごい手間がかかるだろうと考えて、諦めてしまったわけです.

実際は、グラファイトにレーザーを当ててビリッと剥がせば、一気にできてしまいます.でき方については、今、二通りの説があります.小さいものが徐々に成長するという説と、炭素の数が100 ~ 200個程度のものができて、そこから余計なものが弾き飛ばされて、最終的に最も安定なサッカーボールの形になるという説です.いずれにしても、丁寧に一つ一つ組み立てていくモデルを作るような方法で作ることはできません.

ダイヤモンドにしても、一つ一つ組み立てて作ってはいません(笑).圧力をかけて蒸し焼きにすれば、砂糖からでもダイヤモンドはできるわけです.フラーレンは「ダイヤモンド崩れ」なのです(笑).

ところが、フラーレンはダイヤモンドのために非常に大事な働きをしています.ダイヤモンドを磨くことができるのはダイヤモンドだけですから、実際に屑のダイヤモンドで磨いています.ところが、フラーレンはダイヤモンドの出来損ないだからという大澤さんのヒントで、フラーレンの硬度を調べたところ、非常に硬いことが分かったのです.その結果、ダイヤモンドを磨くのは、ダイヤモンドよりフラーレンのほうが良く磨けるということで、工業的に役立っているそうです.

三井: ご質問の中に、フラーレンの応用面は何かというのがあります.いろいろなことに使えそうだということですが、潤滑剤に使えるという論文を見たことがあります.

B: ゴルフのクラブに入っているそうです.フラーレンが入っていると言うと、飛びそうに聞こえますが、本当に役に立っているのかどうかは分かりません.(笑)

細矢: フラーレンの入った女性用化粧品というのも売られています.売るほうもノーベル化学賞に縁のある物質だと言って宣伝していますが、実際の効果は証明されていないのではないでしょうか(笑).最初の頃は、フラーレンを人間の皮膚に付けると、それが浸透して悪さをするのではないかと心配されましたが、これほど大きな分子が入っていく隙間はないと思います.特に、二重らせん構造をしたDNAの中には絶対に入っていきませんから、それで遺伝子をおかしくするようなことはないと思います.

他の応用として、超伝導に関係する実験はたくさんありますから、その方面での応用はあるかもしれません.

また、これは大澤映二さんから聞いた話ですが、日本でも中国でも、書道に使われる高価で高級な墨の中にフラーレンが入っているそうです.安物の墨では見つからないと言っていました.(笑)

三井: それはどうやって調べたのですか.スペクトルですか.

細矢: そうでしょうね.

C: 私も、フラーレンの分離をやったことがありますが、きれいな青ですね.高級な墨は確かに青味がかかっていますので、確かにフラーレンの色だと納得してしまいました.

細矢: ベンゼンに溶かすと、紫っぽい色になります.

三井: ベンゼンに溶かしてクロマトグラフィで分けると、溶液が紫色になるわけですね.そういえば、青墨というのがあります.

C: 現在、奈良で最も多く作られている墨は、菜種油を燃やして、その煤を集めて作られていますが、正に蒸発法ですから、フラーレンができてもおかしくないと思います.

三井: フラーレンは宇宙でも見つかっています.

細矢: クロトーなどは、フラーレンのようなものは宇宙にないだろうと言っていましたが、だんだんとあるらしいということが分かってきました.地球に降ってくる隕石には、鉄が多いものと炭素が多いものとがありますが、鉄を多く含んだ隕石のほうが圧倒的に多いのです.炭素をたくさん含んだ隕石は、日本にはありませんが、カナダや中国などにあるそうです.そこへ調査に出かけて行って、見事にフラーレンを見つけたという化学者がいます.

三井: 小惑星探査機「はやぶさ」の後継機が探査に行くのは、炭素を多く含んでいる惑星だそうですから、もしかすると、フラーレンが見つかるかもしれませんね.

ところで、ダイヤモンドとフラーレンの関係は何かというご質問がありましたけれど、どういうことなのでしょうか.

細矢: ダイヤモンドもグラファイトもフラーレンも、全て炭素の同素体だということです.つまり、炭素という元素だけからできている物質なのです.実は、炭素の同素体には、もう一つ、カルバインというものもあります.

我々が学生の頃、炭素の同素体は、三次元的なダイヤモンド、二次元的なグラファイト、そして、無定形炭素という三種類しかないというふうに教わりました.ところが、大澤さんが予言する少し前の旧ソビエトの化学の教科書に、炭素にはもう一つ別の同素体があるという記述があったのです.西欧や日本の化学の教科書には載っていませんでした.それがカルバインです.

炭素原子からは4本の手が出ていますが、その手が全て別の炭素と繋がっていくと、ダイヤモンドの格子ができます.それが三次元の炭素の同素体です.また、4本の手のうちの2本は同じ相手と結ぶようにすると、亀の甲を敷き詰めたような二次元のシートになります.これがグラファイトです.

アセチレン分子(H-C≡C-H)は、炭素間に三本の手があり、炭素の残りの一本が水素につながっています.ここで、水素の代わりにアセチレンを繋いでいくと、-C≡C-C≡C-C≡C- と真っ直ぐに連なった炭素の同素体、つまり、カルバインになるというわけです.しかし、そのことは、旧ソビエトの化学者しか信じていませんでした.黄色っぽい結晶だという記述があります.

宇宙空間には、炭素が10個くらい真っ直ぐにつながったカルバインの親戚のようなもののあることが分かっています.その多くは日本人が見つけているのですが、地球上でもそういうものを作ることができるはずだと考えたのがクロトーです.彼は、グラファイトを材料にしてレーザーを当てたら、カルバインができると予想しました.ところが、開けてみたら、C60だったわけです.(笑)

では、サッカーボールは何次元の同素体になるのでしょうか.ゼロ次元です.無限大の中では、C60といえども点になります.これで、炭素の同素体は、ゼロ次元のフラーレン、一次元のカルバイン、二次元のグラファイト、三次元のダイヤモンドと全ての次元が揃ったことになります.このことは、科学的に非常に重要な発見なのです.

D: カルバインは合成されているのですか.

細矢: 私は見たことがありませんが、信じる人は徐々に増えています.西欧の本の中には載っているものもあります.

三井: 「フラーレンとカーボンナノチューブとの関係は?」というご質問もあります.

細矢: カーボンナノチューブは、飯島澄男さん(名城大学大学院教授、産業技術総合研究所ナノチューブ応用研究センター・センター長、1939-)が電子顕微鏡で見つけたもので、このサッカーボールを真二つに切って、その間をグラファイトで筒を作ったような構造をしています.

三井: カーボンナノチューブができる条件とフラーレンができる条件は全然違うのでしょうか.両方一緒にできるというわけではないのですか.

細矢: 違うと思いますが、不思議なことに、カーボンナノチューブの中にフラーレンが入ったピーポッドと呼ばれるものが作られています.そういうものがどういう役に立つか全然分かりませんが.(笑)

E: カーボンナノチューブは六角形だけでできていて、五角形は混ざらないのですか.

細矢: ボールであっても筒であっても、閉じた多面体になっていますから、五角形はトータルで12個あります.五角形が12枚、六角形が2枚以上の多面体を、僕ら化学者は、5、6多面体と呼んでいますが、数学的に認知されているわけではありません.

日本には伝統的な竹細工の技術がありますが、その中には教科書に載っているものもあります.ザルを作るときの篭目模様は基本的にグラファイトを作っているようなものですが、折り曲げるときに五角形を入れてやります.それには二通りの方法があって、正六角形型に五角形を配置すると、底が平で、全体に六角形のザルができます.それから、真ん中に五角形を一つ入れ、その周りに六角形を置いていくと、全体が五角形のザルができます.

多面体に関しては、200年前にオイラーが見つけた E = V + F - 2 という式は、多面体に共通の性質を表していますから、ほとんどの多面体に適用できます.例えば、立方体では、辺が12本(E = 12)、頂点は8つ(V = 8)、そして面は6枚(F = 6)ありますから、この式を満たしますね.

私の息子が小学生の頃に数学の塾へ行っていたことがあります.その頃、有名中学の入試問題にオイラーの公式が出たそうで、塾の先生が、この式は、「線は帳面に引け」と覚えるのだと言ったそうです.線(Edge, 辺)は、帳(Vertex, 頂点)面(Face)に(2)引け(マイナス).息子は忘れてしまいましたけれど、私は覚えていました(笑).この式が合わない多面体はありませんので、チェックしてみてください.

B: 今のオイラーの定義は球面だったら当てはまりますが、ドーナツ形の場合には、辺の数は、頂点と面の数を足したものになりますから、マイナス2ではなくて、ゼロになります.

細矢: そのとおりです.ところで、どのようにして、化学者が数学でフラーレン・ケミストリーを発展させたかということを、まだ言っていないのですが、その話をしてもいいですか.

三井: どうぞ、どうぞ.

細矢: クロトーとスモリーたちがフラーレンを見つけたときは、炭素が60個の分子があるということしかわかっていませんでした.それ以外の情報はなかったのです.彼らは、楽観的に、もうこの形しかないということで発表したのですが、C60で、五角形が12枚、六角形が20枚、どの頂点にも3枚の面がきている異性体(分子式が同じで構造が異なる分子)は何種類あると思いますか.異性体の数について、アメリカとヨーロッパの3つのグループの数理化学者たちが、それぞれ論文を発表しましたが、これがずいぶん違っていて、しかも、3報とも間違っていました.そこで、また計算し直して、異性体の数は、結局、1,812だということになったのです.

それまでも、数学者は、C60に限らず、頂点がいくつのときに、どのような多面体が存在するかというようなデータベースの作成にほとんど寄与していません.1,812個の異性体を分類したのは、ほとんど全て化学者がやったのです.

ケクレ構造の数に関する問題もあります.ベンゼンの亀の甲で化学が嫌いになる人が多いのですが(笑)、ベンゼンは6個の炭素原子が繋がった六角形で、外側に水素があります.その六角形は、二重結合と単結合が交互に並んでいます.この構造式は、ケクレ(Friedrich August Kekulé von Stradonitz, 1829-1896)という化学者が提唱したもので、ケクレ構造といいます.ベンゼンの場合、3本の二重結合と3本の単結合を配置する方法は二通りありますから、ケクレ構造の数は2になります.では、サッカーボールのケクレ構造はいくつあるのでしょうか.

『数学セミナー』(日本評論社)の去年の10月号に、カリフォルニアにいる有名な日本の数学の某先生が、「フラーレンと正十二面体の幾何学」というタイトルで論文を書いています.これはシリーズになっていて、この後第5回まで続くのですが、この論文を書いた理由は、C60にケクレ構造がいくつあるかを数えたからだということでした.編集長に頼まれて、僕がその論文を見ることになったのですが、何と、その数が間違っていたのです.(笑)

正解は、12,500です.僕が間違いを指摘しましたので、シリーズ5番目の論文では12,500になっています.実を言うと、フラーレンのケクレ構造の数を最初に数えたのは、僕なのです!(どよめき)1986年のことですから、それから、もう24、5年も経っています(笑).もちろん、コンピュータを使いました.同じ年に、ヨーロッパのライバルも12,500という数字を出していますから、12,500という数字を最初に出したのは、その二つのグループということになります.この数学の先生は、化学をやっている人の参考になると思って書いてくれたのだと思います.だから、こういう題名になっているのでしょうね.そこで、今度は僕が編集長を説得して、今年の5月号と6月号の『数学セミナー』に、「フラーレンをめぐる数理化学」というテーマで書かせてもらいました.要するに、数理化学者たちは、異性体やケクレ構造を数え上げるといった泥臭い仕事をたくさんやっているということを言いたかったのです.(笑)

F: たくさんあるケクレ構造の中で、一番安定なのがそのモデル(細矢さんが組み立てた分子モデル)なのですか.

細矢: サッカーボール構造の中には正五角形と正六角形がありますが、辺の長さが同じであれば、当然、正五角形のほうが小さくなります.しかし、力学的に安定になるためには、正五角形の一辺は正六角形より長いほうがよいのです.つまり、単結合は二重結合より長いので、正五角形は全部単結合のほうがよいことになります.六角形のほうは歪になりますが、二重結合が3つありますから少し小さくなります.実測でもX線解析でもスペクトルでも、このモデルの形に近いことが分かっています.

三井: 異性体の数の多さには驚きました.一番安定だというのは、エネルギーを計算しているのですか.

細矢: 一つ一つの異性体のエネルギー差を計算するには、シュレジンガー方程式に基づいた計算をしなければいけませんから、大変ですが、それをやっても、1,812種類の異性体の中で、このサッカーボールがずば抜けて安定だということは、化学者が証明しています.

三井: それを測定するためには、かなりの量がないといけませんね.

細矢: クロトーとスモリーが最初に質量分析計で見つけたときは、1/100ミリグラムもなかったでしょう.だから、化学的な分析はできなかったのです.ところが、1990年に、アメリカ人のハフマン(Donald R. Huffman, 1935-)とドイツ人のクレッチマー(Wolfgang Krätschmer, 1942-)との共同研究で、収量が100ミリグラムにもなる合成方法が見つかりました.そのおかげで、化学分析やスペクトルによる証明がなされ、クロトーとスモリーはノーベル賞をもらうことができたわけです.大量合成ができなければ、紙の上の話だけで、ノーベル賞まではいかなかったと思います.

三井: ご質問の中に、量産技術を探求するのに、宝探しでない方法はあるかというのがあります.

細矢: 実際に、今一番たくさんフラーレンが作られているのはシベリアではないでしょうか.シベリアには、指を開いたような地形がたくさんありますから、指と指の間になるような所にトンネルを掘り、飛び散らないように、トンネルの奥で、丈夫な器の中に炭素を濃縮して、それを爆発させるわけです.そうしてダイヤモンドができれば、そこにはダイヤモンドの出来損ないであるフラーレンだって混ざっていることになります.ダイヤモンドと一緒に大量生産しているのではないでしょうか.ダイヤモンドはベンゼンに溶けませんから、分離は楽だと思います.

C: 実際には、黒鉛をドラム缶に詰めて、その中にダイナマイトを仕込んで爆発させているだけです.それが一番安上がりな方法で、GE(General Electronics)法と言います.

三井: ご自分で作っていらっしゃるようなお話ですね.(笑)

G: 私もフラーレンに関係した仕事をしていますので、少しコメントしたいと思います.

フラーレンの大量合成は、既に工業化されています.日本ではフロンティアカーボンという会社ができていて、キログラムオーダーで作られています.価格のほうは、1グラムがまだ3,000円くらいするのですが、純度はスリーナインとかフォーナインのオーダーまできています.

フラーレンは、確かにいろいろな工業材料に使われています.ただ、その応用面で強調しておきたいのは、実は、フラーレンは半導体だということです.太陽電池には、一般にシリコンが使われていますが、最近では、有機の半導体が出てきています.有機半導体でpn接合を作るためのn型の有機材料はフラーレンしかありません.つまり、有機太陽電池のn型材料として使われているのはフラーレンだけだということです.

フラーレンは蒸着すると薄膜にもなりますし、結晶にもなります.きれいな薄膜になったフラーレンに光を当ててやると電気が流れます.また、温度を400度くらいにすると昇華します.

B: フラーレンの中に金属を封入したという記事を読みました.

G: イデアルスターというベンチャー会社では、フラーレンにリチウムをイオン注入でぶち込むことに成功しています.名古屋大学の篠原先生たちとの共同研究で、去年の6月、Nature Chemistry誌に発表しています.その電気的な特性はまだはっきりしていないのですが、n型半導体としてはC60だけのほうが優れています.

細矢: 生々しい話から一転しますが、数学のほうで見せたいものがあります.この絵は数百年前に描かれたものですが、誰が描いたと思いますか.レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci, 1452-1519)です(!).ダ・ヴィンチは、ルカ・パチョーリ(Fra Luca Bartolomeo de Pacioli, 1445-1517)という人と一緒に多面体の数学の本を書いたのですが、これはそこに書かれた絵なのです.

それから、この絵は、C60のシュレーゲル・ダイアグラムです.多面体のどの面でもいいのですが、一つの多角形の面を中心にしてゴムのように広げていけば、どのような多面体でも線が交わらないように紙の上に投影できます.それをシュレーゲル・ダイアグラムと言います.この絵は五角形を中心にして広がるように描かれていますが、六角形から広げる描き方もできます.

次の絵は、五角形で描いたものを変形したものです.更に、線を交差してもよいことにすると、10回回転対称の絵を描くこともできます.これは僕が見つけた絵の描き方なのですが、それを使うと量子力学の計算の因数分解がうまくいきます.とにかく5という数字が大事なのです.C60のケクレ構造の数は12,500ですが、これは 22 x 55 なのですよ.(どよめき)

それから、これは5枚の鏡が入っているダイヤモンドカットの形をした模型です.この中に、ピンクの五角形を入れます.サッカーボールが見えますね.(ワァー、スゴイ!)

これは、私の所属しているパズル懇話会の別宮利昭という人が僕のために作ってくれたものです.

三井: フラーレンの中に金属を入れるというお話が出てきたのですが、最初はランタンが封入されたのですね.フラーレンのような丸い篭を見ると、中に何かを入れたくなるというのは人情でしょうか.中に何かを入れたフラーレンについては、いかがですか.

細矢: あまり興味はありませんね.格好が悪くなってしまうから(笑).入った金属は、真ん中ではなくて端っこに行ってしまうのですよ.

C: 金属を中に入れると、フラーレンが一つの原子のように働くのでしょうか.

G: 猛烈に反応するようになります.逆に言えば、リチウムは元々非常にアクティブな原子ですが、それをフラーレンが包み込んでいるような感じですね.

細矢: リチウムは小さいから、フラーレンの中にぶち込めますが、もう少し大きな金属原子だと入りませんね.

G: ナトリウムはなかなか入りません.

細矢: フラーレンの篭の中に金属を入れるのは確かに大変ですが、数学的にはものすごく簡単なのです.四次元の世界で、グラファイトを抱えて横に金属を置きます.そして回転させると金属が入ってしまいます.(笑)

A: フラーレンの真ん中は、何も入っていない真空なのですか.

細矢: 二通りの解釈があります.水素原子は、一番小さな原子ですが、1個の陽子の周りを1個の電子が回っていると考えると、電子は粒子になって、周りは真空になります.しかし、電子が飛び回っていて、瞬間瞬間に電子が存在する場所を確率的に考えると、原子核の周りには電子雲があるということになります.だから、フラーレンの中は真空だと言うこともできますし、炭素の電子雲が存在すると言うこともできます.

A: 炭素原子がもう1個入る余地はないのですか.

細矢: フラーレンの外側に炭素を付けたものはたくさんありますね.現実的には非常に難しいと思いますが、原理的には内側に入ってもおかしくないと思います.

H: ネットで見たのですけど、フラーレンを高温高圧にすると、ダイヤモンドの3倍くらい硬いものができるというのですが、本当でしょうか.ハイパーダイヤモンドと言うそうですが.

細矢: まだ、信じないほうがよいのではありませんか.(笑)

三井: では、これでお終いにします.ありがとうございました.

(拍手)