理 念 Philosophy
計測と工学知
人類に富と豊かさ・幸福をもたらす一連の工学知と電子計測技術の創造と活用、ここにおいて顕著な業績をあげた方々に賞・研究助成を贈り、産業技術振興に貢献したい。これが「財団法人武田計測先端知財団」設立の目的である。本財団は、工学知とその活用に基づく一般生活者にとっての価値の実現、言い換えればテクノアントレプレナーシップに富む人々による工学知の創造と活用の成果(Techno-Entrepreneurial Achievements)の顕彰・助成を目指す。
工学知と富の循環的構造
現代の経済活動において工学知の役割は本質的である。工学知による革新が富を生み、富が再投資されて工学知を生む。この循環こそが持続的経済成長を支え、人類に富と豊かさ・幸福をもたらしているのである。一般に経済的利潤は、言い換えれば富は、価値体値と価値体系の間にある差異から生み出される。新技術や新製品の開発も、実はこの「差異」を作り出す行為である。未来の価値体系を先取りし、それと現在の価値体系との間の差異を媒介して富を生み出そうとする。工学知とは、すなわち、未来の価値体系の謗謔閧にほかならない。
工学知によって生み出された富の一部は、新たな工学知の創出に再投資される。こうして生み出された工学知が新たな差異を創り続け、この差異が富を生み出し続ける。この構造こそ、持続的経済成長を支える工学知と富の循環にほかならない。
ただし、富と工学知のあいだのこの永久運動的サイクルは、資源や環境を直接には経済システム内部に取り込んでいない。資源・エネルギーの無限の供給と、廃熱・廃棄物の無限の捨て場、この二つがあるときにかぎって、富と工学知の永久運動が可能になる。
また、未来と現在の価格体系の差異を媒介して富を生み出すためには、「未来の価値体系を他者より先に知る」だけでは十分ではない。「未来の価値体系を生活者が享受できる状態にする」必要がある。たとえば製品という形に未来の価値体系を具現化し,市場で買える状態にしなければならない。
「未来の価値体系を他者より先に知る」ひとと、「未来の価値体系を実現して生活者が享受できる状態にする」ひととは、同一人のこともあろうし、別人であっても差し支えない。また、実現すべき状態を先に知り、その実現のための知を探し求めるといった順序でことが進む場合もあり得る。いずれにしても、「未来の価値体系を知る」ことと「未来の価値体系を実現して生活者が享受できる状態にする」こととが相伴って、はじめて富が生まれる。これが工学知による富の創出であり、テクノアントレプレナーシップの活動である。そしてこれこそを、本財団は顕彰し奨励しようとしているのである。
テクノアントレプレナーシップは成功した事業家だけに限られるものではない。成功のためのリスクを自ら背負って、その工学的アイデアを実現しようとする探求心の本質をいう。アントレプレナーとは、創造性と決断力を持って事業を創始し、自らリスクを負い、新しい富の創出として能力を発揮できる事業家である。本財団は、その顕彰・助成においてアントレプレナーの役割を重視する。
工学知は幅広い専門家の連携・共同にもとづいて生み出される例が少なくない。その共同作業においてもテクノアントレプレナーシップが重要な役割を果たす。特に近年、生活者にとっての価値の観点から、解決したい、もしくは解決すべき問題から出発して、その問題解決のためにあらゆる知を動員し連携・協力する活動が、広い分野で行われ始めている。新たな工学知の創造と生活者への価値の提供の形として、このような取り組みへの調査普及促進事業と研究助成事業にも、本財団は重点を置く。
計測先端知の果たす大きな役割
今日、工学知の中でも、先端的な計測は極めて重要な役割を果たしている。たとえば、脳科学の研究者、医療関係者は、生体の脳神経細胞を無侵襲で観測することを欲している。分子生物学の研究者も、バイオテクノロジーを活用して創薬、遺伝子組み換え、生物資源を生成しようとする医工学開発者・バイオ技術者も、セラミックやケイ素系、炭素系新素材などの新素材開発者も、そのプロセス能力の開発とともに、計測能力の壁を破るために多大な努力をしている。また環境系の分野においても、計測能力の革新への取り組みが大規模に行われている。
突破口的計測ニーズは研究開発シーズそのものの中にある。被測定対象に対する深い理解なしには計測能力の壁を破ることはできない。同時に、測定しようとすることによって工学知も科学知も呼び寄せられる。遺伝子自動解読装置や超LSI試験装置の基本アイデアは、分子生物学や半導体デバイスの専門家から出されたものである。一方、計測ニーズが計測の壁を破り、新しい実用計測技術として利用されるには、物理、化学、電子工学、情報技術、精密H学、生物学をはじめ、被測定対象とかけはなれた領域の、最先端の工学的・科学的知識を活用しなければならない。とりわけ物質世界の計測アイデアと一体となった情報処理技術、すなわちテクノインフォマティックスの世界に、実世界の科学知・工学知を知識としてマッピングすることが必要になる。
顕彰・助成の対象分野
本財団では、以上の理念に基づき、次の三つの分野のテクノアントレプレノーシップの高い成果に対して顕彰・助成活動を実施するものとしたい。
1. 情報・電子系応用分野
(Techno-Entrepreneurial Achievements of Social/Economic Well-being)
2. 生命系応用分野
(Techno-Entrepreneurial Achievements of Individual/Humanity Well-being)
3. 環境系応用分野
(Techno-Entrepreneurial Achievements of World Environmental Well-being)
この三分野は、工学知の応用が実現した分野という意味である。すなわち、生活者への富と豊かさ・幸福の提供が実現したのがどの分野か、という観点で分野を設定し、分類する。用いられた構成要素技術による、すなわち電子工学とか、化学工学とか、医工学という、分野分類は財団の採るところではない。生活者への価値の提供を主眼とする本財団のあり方を、分野の考え方にも反映させたいからである。
上記三分野の設定には、二十世紀末から二十一世紀初頭への産業や科学技術の変革を強く意識している。この変革には以下のような特徴がある。
(1) 情報処理と通信が結びつき、情報通信ネットワークが生活・産業の基盤(インフラストラクチャ)の役割を果たし始めた。
(2) 生命分野の知識・情報が、富の形成や病苦の軽減に大きな役割を果たしつつある。
(3) 人類の活動の地球環境への影響を強く意識する必要が生じてきた。
私の体験
私、武田郁夫は電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の神代分室に勤務し、若い時代(1944年)に日本における最初の半導体基礎研究グループの一員となった。まだトランジスタが発明される以前のことである。そこで量子力学的固体論や素材研究などの基礎研究の重要性を体験し、電子産業の将来を予見した。その後、半導体研究や電子・情報産業における計測技術の重要性に着目し、電子計測器のベンチャー事業を起こした。
「直流は増幅できない」という誤った理解をしている人が多かった頃、1955年に開発した直流増幅器による1×10フルスケールの電流感度の直流電流計と、3×10の電流検出感度をもつ振動容量型電位計を作ったことは、高分子材料、半導体材料やトランジスタの研究開発のお役に立てたと思っている。
さらにバイポーラICが全盛だった1968年に「将来はCMOS。動作限界速度でタイミング測定とファンクショナルテストのできるテスタが必要」という半導体工学の専門家の助言に従ってICテスターの開発に着手し、1970年にプロトタイプを完成した。そして、この半世紀にわたって、半導体研究が生み出した工学知が、世界の人々にもたらした豊かさと幸福と富を目の当たりにした。私の創業したタケダ理研工業株式会社(現、株式会社アドバンテスト)は、世界の優良企業に発展している。
工学知は分野や組織をこえたネットワークから生み出される。そしてその知は、資本主義の市場メカニズムの中で磨かれ鍛えられて、人類・市民に価値をもたらす知力となる。知と技術とアントレプレナーシップの一致という自らの体験をふまえ、工学知の創造を通じて社会に貢献しようとする人々を勇気づけ、世界の人達から「Techno-Entrepreneurship賞」と呼んでもらえる顕彰・助成ができる財団をつくることを思い立った次第である。